今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより4月号

 今年は年頭に能登半島で地震があり、多くの方が亡くなられ、大勢の方が不自由な避難生活を送っておられます。お亡くなりになった方の御霊様の立ち行きを願わせて頂き、避難生活をしておられる方々の健康と一日も早い日常生活の復旧を願わせて頂きましょう。それに航空事故もありましたが、乗客の方々が短い時間で脱出されて全員無事であったことはなによりでした。
 私たちは信心をしていても災難に遭うことはあります。いつどのようなことが起こっても、心を神様に向けて願っていくことが大切です。
 今年は湯川安太郎玉水教会初代大先生の八十年のお年柄です。大先生のお話を集めた信話集を何度も読み返して信心を改めて生活の上で実践しておかげを頂いていかなければなりません。
 仕入れた呉服の反物を背負ってお得意様を戸別訪問して商いをしていく人がありました。神様にお願いして仕入れた品物を持って回っても、最初の二、三軒で思うように売れなかったら、迷いが生まれて次からは別の品物を薦めるようになり、お願いして仕入れた品物が売れ残ってしまうことになって困っている人の話があります。その人に大先生は「わたしなら、お願いして仕入れた品物は、その品物が必要な人が必ずいるはずだから、少々売れなくても気落ちせずに必要な人に出会うまで回る。そうすれば新しいお得意様も出来るし、ほかの品物も売れる」と話しておられます。これは神様のお導きなのです。
 私たちはちょっと思うようにならなければ「愚痴不足、勝手勘定、取り越し苦労」をします。これはおかげの断りと教えられています。信じ切ることが大切なのです。信話集は昔の話で今の時代には当てはまらないと思ったりしますが、心の世界は変わらないのです。『おかげは和賀心にあり』なのです。
 その信心は、何を目的にしているのかと言いますと、第一に「常に心を清らかに持たせて頂くために」次に「角立つ心を丸くするために」その次に「災いを転じて幸せにして頂くために」最後に「自分の役前を明らかにて責任を果たさせて頂くために」
 心を清らかにするというのは、迷わず、惑わず、純真に信じてゆくということです。角立つ心を丸くするというと腹を立てないことと思われますが、人間にはいろいろな癖があります。何事も悪い方に取る癖のように、勝手勘定、取り越し苦労をしてしまうのも癖です。それを改まり、改まりしていけば、災いと思われていたことが幸せに転じていくのです。
 神様は私たちに『信心しておかげを受けてくれ』と頼んでおられるのです。信心は生活の上で実践していくものです。「出来ん、出来んが重なって出来るようになるのです。おかげは後からついてくるのです。災いを転じて幸せにして頂けるのです。
 信心は形から入るのも大事です。出来るだけご祈念の時間に参拝してお話を聞いて心を神様に向ける稽古をしていくのです。そうすれば生活のどのようなところでお願いしても神様は聞き届けて下さいます。
 自分の信心を見直し、見直しして自分中心の信心から神様の思し召しに沿った信心へと改まっていくのです。
 『表行よりも心行をせよ』と教えられています。火の行や水の行よりも心の行をしなさいと教えられているのです。
 心は目には見えませんが、おかげの受け皿なのです。しっかりとおかげの受け皿を作っておけば、神様が下さるおかげをしっかり受けられます。生活の上で実践して生活の上におかげを受けるのが信心です。