今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

原点に返る

 「銀座だより」2016年8月号   「初代親先生 湯川誠一大人例年祭を迎えて」より    昨年は湯川誠一初代親先生の四十年祭、またこの五月には、父湯川信直二代親先生の十年祭のおかげをこうむりました。両日とも、大勢の方がご参拝下さり、玉水教会湯川正夫大先生ご祭主の下、麗しく盛大に仕えられ、ありがたい思いで胸がいっぱいになりました。  特に、初代親先生は亡くなって四十年という歳月を経て、あれだけの方がお参りになるというのはすごいことだなと、改めて、初代のお徳を実感するとともに、そのお徳の中でおかげを頂いている有り難さをつくづくと感じました。  それとともに、私たちは初代親先生のみ霊の働きの頂き方がまだまだ足りないということも思いました。初代親先生は玉水教会湯川安太郎初代大先生の三十年祭のときに(昭和四十九年)、大先生のみ霊「湯川美志道輝真柱大人」としてのみ働きを改めて実感され、「道輝会をして、大先生のご信心を頂いて行こう」と言われたのでした。そして、初代親先生が亡くなって四十年が経った今、「湯川誠一大人」のみ霊に対して、そのお徳に浸っているばかりで、み霊が十分にお働き下さるような信心がこちら側に出来ていないことに気付かされます。  初代、二代のみ霊は、たとえ姿形は見えなくても、このお広前でご祈念し、お取次ぎをして下さっているのですから、生前と同様に、遠慮なく素直な気持ちでお願いをすれば、おかげが頂けるはずです。  そもそも銀座教会は、初代大先生が「東京にも難儀な氏子が大勢いるから、教会を持って助けさせて頂きたい」と願われて、その思いを受けた初代親先生が布教に出られて誕生したのです。私たちはそのお広前にお引き寄せを頂いた難儀な氏子として、もっともっとおすがりして助けて頂かなくてはならないのです。  無論、私たち自身の信心を進めさせて頂くということも大切です。そのときに、私たちは初代、二代はお徳のある方だから、初めからああいうご信心が出来たのだ、自分たちとは別格なのだと思いがちですが、それは違います。初代、二代も我々と同じように、様々な難儀を経験し、苦しい思いもされながら、信心に骨折って、一つひとつおかげを頂かれて行ったのです。ですから、私たちの苦しみも分かって受け止めて下さるのです。  こういう式年祭、例年祭を通じて大切なのは、「原点に返る」ということだと思います。「原点たる初代を頂いて行く」それは自分の本当の姿を知ることでもあります。皆さんのご家庭においても、「家の初代を頂いて行く」ということが大切です。親や祖父母が難儀な運命にあって、生きるか死ぬかというところをお引き寄せ頂き、お取次ぎを頂いて助かった。けれども、そのことを二代三代とおかげを受けて行くうちに忘れてしまい、何かうまく行かないことがあると、愚痴不足が出てくる。それは自分の本当の姿が分かっていないのです。自分の家の初代がどんな苦労をして、どんな信心をして、どんなおかげを頂いてきたのか。それを現在の自分と照らし合わせて、お礼を土台にした信心を進めさせて頂くことが末々安心のおかげになっていきます。  信心というのは、何十年していても油断をしてはいけません。初代親先生は教師補任四十年目の六十五歳から二十年間、毎年修徳殿に入殿し、ご自身の原点を見つめ直し、信心を掘り下げて行かれました。そのように、晩年になっても、自分の信心に慢心することなく、常に先を見据えて、生活の切り替え、信心の改まりを求め続けられました。その結果、八十八歳で亡くなられるまで、すべてに恵まれ、安心のおかげを頂かれたのです。  どうぞ、今年もこの例年祭を機に、それぞれの原点に立ち返って、より一層のおかげを頂きたいと思います。