今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お礼とお詫びと改まり

銀座だより9月号「お徳の中で」より(6/30上半期感謝祭教話)

上半期感謝祭というのは、文字通り、この上半期を振り返って、神様にお礼を申し上げるお祭りです。皆さんそれぞれ、この半年間、いろいろなことがあったと思います。入学、卒業、就職、結婚、出産など、人生の転機を迎えられた方、病気や怪我をされた方、経済上の問題や家族の問題でおかげを頂かれた方、あるいはこれからの方など様々でしょう。きっと一人ひとりそうした様々な事柄のお礼を申し上げたことだと思います。

 けれども、そうした具体的な事柄のお礼を申し上げることは大切なことでありますが、それは目先のことのお礼にすぎません。信心しているものとしては、さらにもっと根本的なおかげ、普遍的なおかげのお礼を申す必要があると思います。
 普遍的なおかげとは、私たちが命を頂いて生かされているという事実です。生きているということ自体が神様から広大無辺のおかげを頂いていることなのです。

 私たちは病気が治れば有り難いとお礼を申しますが、病気のときには、なかなかおかげを頂いたとは思えません。でも、初代大先生は、「患ってもおかげである」なぜなら、「生きているから患うのだ」と教えて下さっています。
 私たちが病気を患うのも、神様から命を頂いているからです。私たちはどこか具合が悪くなると、何もかもが悪いように思いますけれど、治療を受けることが出来るのも身体丈夫なところがあるからです。手術を受けるにもそれに耐えうる体力がなくては受けられません。目に見えるおかげを頂く前に、私たちの知らないところで神様が万事万端に働いて下さっているおかげがあるのです。

 教祖様のみ教えに『信心していれば、目に見えるおかげよりも目に見えないおかげが多い。知ったおかげよりも知らぬおかげが多い。後で考えてみて、あれもおかげであった、これもおかげであったということが分かるようになる。そうなれば本当の信者である』とあります。
 私たちは目に見えるおかげのお礼は出来ても、目に見えないおかげは気がつきませんからお礼が申せません。それでも、それを自覚して、「神様、私は凡夫で分かりませんから、まだまだお礼が足りませんがお許しください」という思いで心を込めてお礼を申していくことから、真のお礼が出来てくるのだと思います。

 一方、夏越の大祓式はこの半年間の罪穢れを古式ゆかしい形式に則ってお祓いする儀式ですが、このお祭りで祓って頂けば、罪穢れがきれいさっぱり帳消しになるというものではありません。そもそも自分は何の罪も犯していないと思っている人がいるかもしれませんが、それも間違っています。
 罪にも法律で罰せられるような罪と神様から見た罪というものがあります。食べ物を粗末にすること、親先祖を大切にしないこと、一生懸命働かないこと、学生ならまじめに勉強をしないこと、そういうことが神様へのご無礼になります。それ以外にも、私たちは知らず知らずのうちに、どれだけ神様へのご無礼お粗末を犯しているかわかりません。そういう自分の罪穢れを自覚することがまず大切で、それをお詫び申し、改まりを神様に願い約束するのがこの大祓式なのです。

 今日のお祭りは、そういうお礼とお詫びと改まりのお祭りです。どうぞ、下半期も一層に信心を進めさせて頂き、年末感謝祭には?改まりの信心をさせて頂きました。有り難うございます“とお礼が申せるよう、おかげをこうむりたいと思います。