今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

歴代親先生の式年祭のお徳を土台に、日々「まことの信心」実践を

「銀座だより」2017年1月号より

 おかげの中で、共々に平成29年の新春をお迎えし、真に有り難いことです。
 昨年までの3年間、湯川安太郎初代大先生70年、湯川誠一初代親先生40年、湯川信直二代親先生10年の式年のみ祭りが厳かに仕えられ、そのお徳の中で、本年としての信心を、心新たに進めさせて頂きたいと、願っております。
 “式年祭の年は、おかげを頂く年”と初代大先生は、教えて下さっております。これからのその式年のお祭りを土台に何があってもおかげを頂く時が来たと考え、改めて、初代・二代の御信心を基本に立ち返って“頂き直し”ていくことが大切であるとの自覚を各自が持つことが必要と思うのです。信奉者(教師も信徒も)それぞれが、その自覚を持って、教祖様の御信心を基本に教信徒一体で、各々の信心を頂き直して行くことが大切と思うのです。

 昨年秋の教会行事「米寿の祝い」で申したことですが、「年齢に卒業がないように、いくつになっても出来るのが信心」、卒業・定年はないのです。例え病気等で参拝が出来なくなっても、どこにあっても出来るのが信心です。病を得ても信心は最後の最後まで修行と心得て、日常生活に具体的に取り組んでいくべきだと思うのです。
 お結界で、ある信奉者が、「子供に信心継承のおかげを」と式年のお年柄の願いをなさった方がおられ、嬉しく思いました。このように具体的に動いていかねばならないと思うのです。一般に言う「困った時の神頼み」的願いでなく、自分として出来ることがあれば自分として何をさせて頂くか、自分の努力が求められているのです。商売繁盛を願うなら自分としてどう動くのか、そこに神様のお働きが生まれ、働いて下さる。苦難に遭って何ができるか?日常と違って足を運ぶか、何もしないか、悔いの残らぬ“お参り”を一生懸命するかでは違う。仕事でも同じです。信心の工夫が大切で、“太鼓でも打ち破る心で打て”の心意気、神様と共に取り組む信心が大切です。

 
 現代の様々な問題現象を見るにつけ、これから銘々がその“信心”を伝えることに真剣に取り組まねばならないと思うのです。特に、現代社会に現に起きている様々な職場における心の病や悲惨な事例が、日常的に報道される事態となっております。特に自分自身で解決することが困難な痛ましい事態が現実に起きております。そこにそうした状態に陥った方の、自分自身の“心の拠り所”が問題になってきます。そういう時にこそ“信心”が大切になってくるのです。自分一人ではどうにもならないのです。そういう時にこそ“信心”が大切になって来るのだと思うのです。

 式年を終えて一服することなく、信心を次世代に如何に伝えていくかということが大切だと思うのです。信奉者家庭もしかりであり、親から子へ信心を伝えていく方法は多様ですが、日常の些細なことを通して無理なく優しく伝えて行く。そのためにも若い人の話をよく聴いて行く先輩として一人がしっかりしておれば、周囲の人はついて来てくれる―お徳を頂くのです。歳をとっても“自分はまだまだ”との謙虚な思いを持って、すべてに処して行くことが大切です。
 さらに、言葉だけでなく、日常の生活を通して伝わる真の信心をさせて頂くのです。世渡りに信心は不可欠であり、若人と共に、特に今後お道の先輩としての高齢者の信心が大切になってくると思うのです。とかくいわゆる上から目線で、先輩として若人に対する向きがおられますが、目線を合わせ、相携えてお道の信心を共に求め歩む姿勢を願っています。