今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより9月号

今月は珍しく野球の話から始めることにします。湯川茂玉水教会二代大先生の教話集「教燈」(上)の百四十二話にプロ野球の実況中継の解説をお聞きになっての話があります。要約しますと、 打者は勘と力ずくで打つものだと思っていたが解説者は「あの打者の打ち方では球は飛びません」と言った。そしてやはり凡打であった。それを見て「何事にも道はあるものだなあ。道に従っていかなければ進歩はないものだなあ」と思われた。そして、野球にも理論があり、道があって研究が必要で、それを身につけねばならない。信心も同じで、教えにより道を教えられ、自分でもよく研究して、練りだして、身に着けていかなければならない。我流ではいけない。一度だけ都合よくいったからと言って分かったと言っていると我流になってしまう。 湯川安太郎初代大先生が信者時代から信心について「こうか」ああか」と苦労しながら野球理論ならぬ信心理論を見出していかれた。その解説を大先生は終生大変な熱の入れ方で語られたのが「湯川安太郎信話集」になっている。何度も味わい深めたいと話されています。 野球理論も聞けばわかりますから、知っていれば出来るかというと、知っているだけでは投げることも打つこともできません。何度も繰り返して投げたり打ったりして出来るようになるのです。  人にはそれぞれ特有のクセのようなものがあって、野球でも自分では気付かないまま繰り返していて成果が上がらないことがあります。それをコーチから、指摘してもらって改めると見違えるような働きに変わってきます。  信心も我流ではいけません。改まって自分の心と神様の思いがぴったり合えば直ぐにおかげになってきます 野球では三割打者は素晴らしい打者だと言われます。三割打者ということは十回のうち三回はヒットが打てるということです。ということは残りの七回はヒットではないということです。言い換えれば三回は成功しますが七回は失敗ということです。 初代大先生自身は「出来ん、出来んが重なって出来るようになってくる」と言っておられます。話を聞いて分かったというだけではなく、生活の上でそれが出来なければ身についたとはいえません。初代大先生の信心は、生活の上で実際にやってみて、出来ん、出来んを繰り返して出来るようになられた信心です。 初代大先生が「出来ん、出来んが重なって」と言われるように、生活の上で実際にやってみると、知っているから直ぐに出来るとは限らないのです。これは実際にやってみたことのある人でなければ分かりません。やっても、やっても出来なくても、お話を聞いて改まり、改まりして、お願いしながら出来るまでやることが大切なのです。 「信話集」には初代大先生のご体験からそのことが手取り足取り親切に解説されているのです。 初代大先生の一の弟子であった湯川誠一初代親先生も東京に布教した年に関東大震災に遭い、苦難の中で「下手な鉄砲も数打ちあ当たる」と思い直しながら願っていったと話しておられます。 人それぞれに個性があります。初代大先生や初代親先生と同じになれなくても、自分に合ったやり方で、自分の心が神様の思いに合うまで何度も出来ん、出来んを重ねて、神様と共に勉強させて頂くことが大切なのです。 世の中は時々刻々と変わっていきます。でもその中で、教祖様、初代大先生、初代親先生、二代親先生がつけて下さった道を歩みながら、うろたえることなく、神様と共に対応していかなければなりません。