今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより10月号

「神様ご主人、自分は奉公人」とは湯川安太郎玉水教会初代大先生の教えで、私たちの信心にとって最も大切な教えですが、奉公人という働き方は今ではありませんので、今の世代の人たちには少し理解しにくいところがあるようです。
以前にも話しましたが、昔の商家に奉公しますと、衣食住の生活一切の面倒を商家のご主人にみてもらって、自分は商家の商売繁盛のために働くという働き方です。
初代大先生が奉公をしておられた商家の主人が相場に手を出して倒産し、初代大先生は独立して自分の商売を始められるのですが、身動きが取れなくなるところまで行き詰まられ、その時神様からお知らせを頂かれて気付かれたのが「神様ご主人、自分は奉公人」なのです。
そこから初代大先生の信心は大展開して玉水教会が生まれ、一の弟子であった湯川誠一初代親先生が東京に布教されて現在の銀座教会があるのです。
その信心とは、生活一切を神様にお渡しして、自分の役前として八つのことを勤めさせていただきますと神様にお約束されるのです。その八つをもう一度言いますと、祈りということ、あなたと共に勉強するということ、経済に意を用いるということ、親先祖を大切にするということ、子供の養育ということ、家庭円満ということ、私の一切の思いをあなたの思いに合わせていくということ、借銭の断りを言うということ、の八つです。
中でも今日は、あなたと共に勉強するということ、私の一切の思いをあなたの思いに合わせていくということ、の中身について話してみたいと思います。
湯川茂玉水教会二代大先生の教話集「教燈」八十話に、一年もの間お詫びしているのにおかげが頂けないという信者さんと、はしごから落ちてびっこをひきながらお参りされたお年寄りが、参拝した教会の先生から、今日まで生かされてきたことは有り難いことで、折角の神様の思し召しを粗末にしては相すまん、と諭されて、本当に勿体ない、相すまんと思ったら足の痛みがスーッと消えてしまったという話があります。
私たちは本を読んだり話を聞いたりすると頭では分かります。でもそれだけでは神様には通じません。本当に心からそう思えたらすぐにおかげになるのです。神様に通じるのは頭ではなくて心なのです。『おかげは和賀心にあり』と教えられているのです。
神様は私たちの心の親様ですから、信心を始めたころに願ったことには、よくわかっていなくてもおかげを下さることはあるようですが、年限を重ねてくるとそうはいかなくなってきます。
私たちの心は、つい目先の自分の都合への思いでいっぱいになってしまいます。それでは「神様ご主人」ではなくて「自分がご主人」になってしまっているのです。初代大先生も本来神様のお仕事を自分の仕事と思って横領していたと気付かれて信心が大展開したのです。
信心で改まるとはここを改まることなのです。生かされていることが本当に心で分かれば一切万事神様が面倒をみて下さっておかげを下さるのです。
湯川誠一初代親先生は「おかげを頂いたら信心の裏付けをしておかなければならない」と教えて下さっています。自分の心のありようをしっかり確かめておくことを教えて下さったのだと思います。
景気不景気にかかわりなくおかげの頂ける道だとも教えられています。神様からおかげを頂ける受け皿、器を作れれば世の中がどのようになろうと心配はないのです。
難儀なことが起こってきた時こそ、しっかり心を神様に向けて改まっていくことが大切なのです。