今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより1月号

銀座教会は来年に布教一○○年のお年柄を迎えますが、初代親先生は身の祝いとなりますので十年祭、五十年祭といった節年のお祭りはされませんでした。 そして毎年の布教記念祭には祭主を親教会の大先生にお願いされて、ご自分は東京でおかげを頂いた最初の信者として神前に玉串を奉奠されてお礼のお祭りを仕えてこられました。 二代親先生もそれを引き継がれ、私も引き継いでまいりましたので、節年のお祭りはいたしませんが、東京の銀座に金光大神様のお広前が生まれて一○○年続いてきたお礼のお祭りは、銘打ってさせて頂きたいと思っています。 銀座教会は、湯川安太郎玉水教会初代大先生が始めて上京されたときに「東京にも難儀をしいる人たちが大勢おられる、その人たちを一人でも多く助けさせていただきたい」という願いを持たれ、その願いを受けて初代親先生が東京に布教されたのが始まりでした。 それから一○○年という歳月の間には関東大震災や戦災もありましたが、コロナ禍によって東京の難儀の大きさを改めて思わせられました。 これまで当たり前に出来ていたことがコロナ禍で出来なくなって、目に見えなかったことが改めて現われてきたように思います。 私たちは様々な知恵分別を身につけて、それを頼りにした生活をし。その生活も様変わりすることになって、今までに経験したことのない難儀が生まれてきて戸惑っています。 教祖様は天地の中で生かされて生きていることを知って生きていくことを教えて下さいました。そして、そのことを知らないで難儀している人たちを神様に取り次いで助けて頂く信心の道を教えて下さいました。 初代親先生は東京に布教されてから毎月ご本部参拝を続けられました。布教された年に関東大震災があり、鉄道が不通になって行けなかった月と、銀座教会が公に認可されることになって途中から引き返されたときの二回を除いて続けられました。それを受けて二代親先生も続けられました。私も続けていましたが、コロナ禍で移動の自粛を言われるようになり途切れる月がありました。そして参拝できた月と出来なかった月とでは違いがあることに気付かれました。 これは形ではなく、思いの問題ではないかとも気付かされました。 教祖様も神前撤去を命じられたことがあると伝えられています。その時に天地書付が生まれています。天地書付には『おかげは和賀心にあり』とあります。 コロナ禍で目に見える部分が差し止められて、現われてきた目に見えなかったものは、私たちの心だと思います。 天地に生かされて生きている命の働きを信じ、その天地の神様にお願いできる道筋であるお取次ぎを頂いていく信心を、改めて頂き直していかなければならないと思うのです。 「難儀をしている人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という初代大先生の願いも、その願いを受けていかれた初代親先生、二代親先生の願いも、お取次ぎを頂いて天地の神様に願っていくという信心そのものなのだと思います。 関東大震災に遭っても、戦災に遭っても、月々のご本部への参拝を続けられたのは、形ではなく心の働きだったのだと改めて思います。 銀座教会の一○○年は、この信心の積み重ねにより、天地の神様からおかげを頂いてきた具体的な事実なのです。 難儀の中でも惑わずに、天地の神様を信じ、お取次ぎを頂いて、お礼を申し、お願いをしていく信心を改めて頂いていくことが大切です。