今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより04月号

 銀座教会布教百年のお祭りを玉水親教会の大先生に祭主として仕えて頂き、ありがたいことでございました。  銀座教会では今日まで十年祭とか五十年祭といった節年祭はしてきませんでした。以前、五十年目の布教記念祭を迎える前に出社の先生方が揃って初代親先生の前に座って、五十年祭を仕えて頂くお願いをしようとされると、お願いされる前に親先生から「五十年祭なんかせえへんで」と言われて、お願いできなかったと伝えられています。  初代親先生は、初代大先生の「東京で難儀をしておられる人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という願いを受けて初代大先生に成り代わって東京に布教されたので、十年祭とか五十年祭とかの節年祭は自分の身の祝いになるからと言ってされなかったのです。二代親先生も私もその思いを受けてしてきませんでした。  その代わりに毎年布教記念祭を玉水教会の大先生に祭主をお願いして、自分は東京でおかげを頂いた最初の信者として玉串を奉奠されてきました。初代親先生にとっては初代大先生の思し召しを忘れないために毎年お祭りを仕えておられたのです。ですから百年祭は百回目の布教記念祭ということになります。  百年祭の直会本として出版させて頂いた記念誌の三十ページに初代親先生は、「このお広前にお引き寄せ頂いているお方は、神様の思し召しによってであり、同時に初代大先生の思し召しー東京にも難儀な氏子がいる。その人たちを一人でも多く助けさせて頂きたいという強い願いから、ご自身の代わりに私をさしむけられたのです。私はその言いつけを受けているだけですーその思し召しを自覚していくことが大切です」と話しておられます。  その“思し召し”の中身とはどういうものかと言いますと、  「お話を聞いてもよくわからないので、信心やめようかと思います」と言ってきた脳に少し障害を持つ娘さんに、嚙んで含めるように何度も何度も一生懸命に信心することの大切さを話しておられた初代大先生のことを二代親先生が話しておられます。それには初代大先生が商売をなさっていたころに、行き詰まってどうにもならなくなったところを信心によって助けられた経験から、その信心を何とか人々に伝えたいという強い願いがあったのです。  神様は『難儀をしている者を取次ぎ助けてやってくれ』と頼まれている神様ですから取次ぎを頂いてお願いすれば助けて下さるのです。そのことをしっかりと心に刻んで忘れなうようにすることが大切なのです。  銀座教会は関東大震災と戦災で二度焼失して何もかもなくなってしまいましたが翌年には復興し、敷地も広がっていきました。銀座というところは昔から土一升金一升と言われてきたところで、上には伸びても横に広がるのは難しいところです。  信者さんも、難儀な人たちがお引き寄せされて参拝されているのですから、もともと力はありません。でも“取次ぎの座、お結界”を通して金光大神様のお取次ぎを頂くことによって、難儀を幸せに切り替えてもらえるのです。  その場所を天地の親神様が銀座に開いて下さって、その働きがどんどん現れてきたのが銀座教会です。つまり、天地の親神様の思し召しの現れであり、金光大神様のお取次ぎの働きの現れなのです。  一人ひとりがもう一度信心の原点に立ち戻り、まことのおかげを実現する強い願いを持って次の百年に向かっていきたいと思います。