天地金乃神さま・生神金光大神さま

世界には多くの宗教がありますが、その元は“地上のすべてを育み、すべてを生かしておられる”天地の神さまでありましょう。金光教では、天地金乃神さまとお呼びしています。

幕末のころ、天地の神さまから「そのほうのおかげで天地金乃神が世に現れることができ、人を助けることができるようになった。神からも一礼申す」と、お礼を言われた方がありました。この方が教祖さまです。そして教祖さまに「生神金光大神」というご神号が下がり、「悩み苦しむ世界中の人々を助けてやってほしい」とお声が下がったのです。

教祖さまが、大勢の人々にお話しになったことをほんの少し、ご紹介します。

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教祖さまの教えから

『天は父、地は母である。人は天地の間に生きている。動物、草木なども、また、みな天地の恵みを受けて、地上に生きているのである』

『信者がまことから供えるものは、神も喜ばれるが、寄付を勧誘して、信者をいためては、神は喜ばれない』

『信心すれば、心配は、みな、おかげになる。心配は体に毒である。心配する心を神さまに預けて、信心する心になれば、みな、おかげになる』 

『人にできるだけのことをしてあげ、人にものをあげたくてしかたがない、という心を持ち、自分だけよいことをしたい、というような心を持ってはいけない』

『人に物をあげるのでも、自分によい物を残しておくようなことではいけない。たとえ前掛け一枚でも、よいほうを人にあげ、悪いほうを自分が使うようにしなさい』

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『金光大神は、どうにもならないと言われれば、じっと寝入るような心持ちになるのであるから、あなたたちも、そういう心になるがよい。わめき回るようなことをするな。じっと眠たくなるような心持ちになれよ』

『腹立ってもじっとこらえることが肝要なり。神に信心とは、腹立てぬこと』

『神さまを信じる者は、何をするにしても遊ばせていただくのである。神さまの奉仕で遊ばせていただき、商売でも農業でも、遊ばせていただいているのである。みな天地の間にうれしく、ありがたく遊ばせていただいているのである』

『世間には、水の行や、火の行や、いろいろな物断ちをする人もいるが、この道はそのような行はしなくてもよい。毎日の家業(仕事や役割)が信心の行である』

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『祈るところは天地金乃神。昔からある神である。途中からできた、はやり神ではない。終わりもない。信心をしていなくても、命のいろいろな働きや、天地のいろいろな恵みは、すでに授けてある』

『冗談でも悪いことを言うと、言うとおりになってくる。子供をしかるのでも考えてしかれ。「あほうなことをするな、ばかが」などと言ったりしてはならない。「お利口だからするな」と言え。子供もお利口だから悪いことはやめようと思って利口になるが、あほう、あほう、と言うと、あほうだからしてもいいと思って、あほうになる』

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『天が下の者はみな、神の子供である。天が下に他人はない。人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな、人である』

『子の頭をたたくより、親が自分の頭をたたけ。すぐおかげになるぞ』

『借金は腹をいためる。家は悪くても借金がないのが、神さまには一番のお喜びなり』

『自分で商売するというから神は見ておられる。神に商売をさせていただくという心になれば、神はつきそって、させてくださる』

『明日、塩辛を食べるからといって、今日から水を飲んで待っているわけにはいくまい。取り越し苦労をするな』

『何ごとにも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ』

『食べ物はみな、人の命のために天地の神さまが作り与えてくださったものである。何を飲むにも食べるにも、ありがたくいただく心を忘れるな』

『物を粗末にするくらいもったいないことはない。食べられるまでにするには、大変な手間がかかっている。みな、気楽に食べていけるようにと思って、苦労しているのであろう。それなのに、食べ物を残したり、捨てたりするのは、神さまのお恵みと、人の骨折りを粗末にしているのである』 

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『神さまがお造りくださった人間だから、病気にかかった時には、神さまに頼んで健康にしてもらうのは、理にかなったことではないか。みな、病気の名前や、病気の元は、不思議によく知っているが、おかげの受けられる元を知らない。病気の元よりおかげの元をたずねてみよ』

『人間であったら、気の毒な人を見たり、困ってい る人の話を聞いたりすると、かわいそうに、何とかしてあげたいと思うものである。神の心とは、このかわいい、かわいそうと思う心である』

『神徳を受けるには、人間心の位も思わず、理屈も言わず、学問うぬぼれもなく、清き心さえあれば、神のみ戸は開ける』

『神の徳を十分に受けようと思えば、「ままよ」という心を出さなければ受けられない。ままよとは、死んでもままよ、のことである』

『肉体はいつか死ぬが、魂は生きとおしである。肉体は地から生じて、もとの地へ帰るが、魂は天から授かって、また天へ帰るのである』

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『生きている間も、死んでからも、天と地が、わが住み家』

『先祖、先祖からの罪をわびよ。罪・めぐりは、ひなたにおいた氷のように神がお取り払いくださる』

『今月今日で一心に頼め。おかげは、和らぎ、よろこぶ「和賀心」(わがこころ)にある』