今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより11月号

 初代親先生も二代親先生も毎年九月一日には関東大震災の話をされていました。「しんじんハンドブック」に「父のこと」と題したお話があります。少し要約してみますと「唐傘を半開きにしなければ通れないような狭い路地の奥に銀座教会の最初の布教所はありました。〈もっとひろいところを〉と神様にお願いしますと『八月の末には引っ越しをしなければいけない』とのお知らせがありました。楽しみに待っていましたが八月の末になってもどこからも何の話もありません。〈神様が嘘を言われるはずがないから旧暦で言われたのかな〉などと夫婦で話していますと翌九月一日のお昼前に関東大震災が起こりました。火災に追われてご神璽と少しの荷物とともにお浜離宮へ避難して野宿をすることになります。布教所は倒壊しませんでしたが焼失してしまいます。
 焼け野原になった東京の街を見て〈街は焼けてしまったが大地は死んでいない。この天地に東京の復興を祈らせてもらおう〉と思って祈っていきました。でも焼け残ったところを転々と間借りしてのことですから〈こんな所で祈っても〉と思う時もあったようですが〈下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというではないか〉と思い直して祈っていったと話しておられます。そうしますと焼けてしまった銀座の借地権が売りに出され、それを買い取ることができて、そこにお広前を建設して銀座小教会所が誕生します。その教会も戦災でまた焼失してしまいします。今度は日本の復興を祈っていかれました。神様は『世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次助けてやってくれ』とわざわざ教祖様に頼んでおられる神様です。人の助かりを一生懸命に祈っていった親先生の働きを喜んでくださって、先生が亡くなられた後も盛大なおかげを頂いているのだなあと思います。信心は頭で考えることも大事ですが、とにかくお取次ぎを頂いて願っていくことです」と話されています。
 『難はみかげ』というみ教えがありますが、このみ教えの中身は大変深くて大きくて、言葉だけで考えるとよくわかりません。私たちは身の上に難儀が起こらないようにしていただくために信心していると言っていいと思います。
 難儀の中にも神様の思し召しがあるとは思えず、つい「愚痴不足勝手勘定」をしてしまいます。これはおかげの断りと教えられています。私たちは目に見えるものに囚われて心を乱してしまいます。目には見えない天地の神様を信じてどこまでもすがっていくのが信心で、そこから難儀がおかげに変わっていくのです。
 それに私たちはついつい先のことを頭で考えて心配してしまいます。「勝手勘定取り越し苦労はおかげの断り」とも教えられています。
 心配する前にひたすら天地に祈っていった先生の信心を私たちが今どう頂いていくかが大切なことになってきます。
 「心配する心で信心せよ」と教えられている通り、何か事が起こってきたら、頭で考えるより先にまずお願いすることが大事なのです。
 私のようなものが願ってもと思わないでひたすら願っていけば神様は必ず聞き届けてくださいます。
 九月一日になると初代親先生も二代親先生も関東大震災の話をされたのは、頂いたおかげを忘れないようにするためです。私たちはおかげを頂くとその時は喜んでいますがすぐ忘れてしまいます。
 どのような神様の思し召しがあって難儀が助かったのかを確かめて、これからの信心に生かしていくことが大切なのです。初代親先生も二代親先生も確かめながら信心を進めていかれました。私たちも次の百年に向かって信心を確かめていきたいと思います。