今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男と して出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより1月号

心新たに新年を迎えることができて有難いことです。
昨年は新型コロナウィルスが世界中に広がり、大勢の人が難渋し、たくさんの人が亡くなりました。一刻も早い回復とみ霊の立ち行きを願ってきましたが、終息のめどは立たないままウィズコロナと言われる新しい生活が生まれようとしています。昨年の年頭には想像もしていなかったことです。
教会も安心して参拝して頂けるように、消毒、ソーシャルディスタンスに配慮しての椅子の配置、パーテーションの設置など可能な限りの対策をし、五月の御大祭、八月の初代、二代親先生夫妻の例年祭、十一月の御大祭はインターネット配信をして遥拝して頂けるようにしました。
学校が休校になったり、会社の業務が自宅でのテレワークになったりと、生活も大きく変化しました。家族そろって自宅にいる時間が長くなるということは、それだけ団らんの時間も増えるということになりますが、そこからまた新しい様々なストレスが生まれ、戸惑いもみられるようになりました。
私たちは日々の暮らしの中で、自分にとって都合のいいことであれば喜んでお礼が言えますが、都合の悪いことが起こってくると、つい愚痴不足、勝手勘定、取り越し苦労をしてしまいます。
天地には災害も起こりますし、感染症も流行します。私たちはその中で日々生かされて生きているのです。目先のことのお礼は言えても、この根本のお礼はなかなか言えません。
『目に見えるおかげより、目に見えないおかげの方が多い。知ったおかげより、知らないおかげが多い』と教えられていますが、私たちは目に見えるところで一喜一憂して心が乱れますから、目に見えないおかげを分かることがなかなかできません。
でも信心ではここが大切なのです。
学校の運動会が中止になり、様々な催し物が無観客や中止になって、外出したり人に会ったりと、今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなって、生活が様変わりしてきますと、つい不安になったり愚痴不足を言いたくなりします。
当たり前だと思っていたことが普通に出来ていたということはどれだけ恵まれて出来ていたのか、そのことがどれだけ分かり、今も生かされて生きていることをどこまで分かって神様にお礼を申しあげることができているのかが信心にとっては大切になってくるのです。
悪い結果になることを心に持っていると、心は心配でいっぱいになります。心配して愚痴不足を言っているときの心には、自分の都合が住んでいて神様はおられません。
神様にお礼を申し上げるということは、心に神様を頂くということで、そこから神様に道をつけて頂くことができるようになってくるのです。私たちの願いは、心配を土台にした願いでしょうか、お礼を土台にした願いでしょうか。
天地丸生かしの神様です。あれが出来てこれが出来ないような小さな神様ではありません。信心するということは心に神様を頂くということですから、どのようなことが起こってきても、必ずそこから幸せへの道をつけて下さるのです。
教祖様がその道をつけて下さったのです。そして、初代大先生、初代親先生、二代親先生のお取次ぎによってその道は私たち一人ひとりにつながっています。
愚痴不足、勝手勘定、取り越し苦労を一切神様に預けてしまうと、後には一心の願いと喜びしか残りません。喜び喜んで喜びのおかげを頂くのが信心です。
ウィズコロナの新しい生活が手探りで進められる中で、信心も改めて頂き直していくことが大切です。