湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
お徳の中で 教会長 銀座だより11月号
金光四神様のみ教えに『神一心に願えばおかげになるものを、どうやこうやと思うために頂けるおかげが頂けなくなるのじゃ』とあります。
初代親先生(湯川誠一師)は「病気になって、医者から手を放されて(もう仕方がない)と願いを捨ててしまう人と、(たとえどうなろうとも願える限り願っていこう)という人があります。私は後のほうの、願えるかぎり願っていこうという行き方にこそ、一生を貫いた願いがあり、そこに願いが成就するのではないかと思います。金光大神様は『死に際にもお願いせよ』とみ教え下さっています。これはたとえ息を引き取る間際でもお願いせよ、死んだ先々までもおかげを頂いていかなければならないのであるから、という意味です。おかげを頂く立場の者としては、自分からもうだめであると打ち切ってしまうのは考えなくてはなりません」と教えられています。
初代親先生の五年祭を迎える時、昔のお広前ですから冷房設備はありません。祖母(湯川ツヤ姫)が「もう少し涼しくならんかなあ」と言われた。父(二代親先生)は「それは無理です。八月は暑いのは当たり前です」と返事してしまった。当日は少し暑さが和らいで、父は「無理です、と言ってしまったのに、母が諦めずにお願いしてくれていた」と気付かせてもらった、という話があります。
玉水初代大先生(湯川安太郎師)は医者も神様も助からんと言われた信者さんを、それでは困りますと願いきって、その人が助かったという話がありました。その姿を見ている祖母は、天気も願いきることができたのだと思います。
祖母のように願えるかぎり願っていこうという行き方こそ、そこに願いが成就するのではないかと思います。このことは信心の大事な取り組みのひとつであると思わせて頂きました。
『死に際にもお願いせよ』このみ教えは、亡くなったあとも、この天地の中でおかげを頂いて行かなければならないわけです。それで終わりではないということです。願って願って、命を全うする人と、願わずに亡くなってしまう人とは、先々が違うということです。
命の問題だけではなく、仕事など、自分が関わっていることも同じだと思います。お願いしていても、(この問題ダメだな)と思い、まだ終わってない時から無理だとお願いを捨ててしまうことがあります。そこが死に際なのです。そこを一生懸命諦めずにお願いして、たとえ倒産とか、店じまいになっても、それで終わりではないのです。その後も、この天地の中でおかげ頂いていかなくてはいけないのです。
神様にお願いして取り組ませて頂いたことは、諦めずに、どんな結果になろうとも、神様信じてお任せし、自分としては、おかげを頂くまでどこまでも取り組んで力を尽くしていったら、大逆転だってあるかもしれません。そうでなくても、それから先、次の展開でおかげ頂くかもしれません。
そういう願いが出来るか出来ないか、それは自分の生活が自分の力で出来ていると思うのか、神様によってさせて頂いていると思うのか、との違いになるのではないかと思います。
来年八月一日は初代親先生の五十年祭を迎えさせて頂きます。初代、二代親先生は一生を通して、玉水初代大先生の信心を皆さんに分かってもらいたいと語り継いで下さいました。この信心を子供や孫にも伝わるように、しっかり頂いていくのが五十年祭のお礼として、神様に安心して頂けることになるのではないかと思わせて頂きます。