今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより5月号

 初代大先生(玉水教会初代教会長湯川安太郎師)は「話の聞きよう使いよう」(信話集第五集第一章)の中で、「この話は自分に関係ない話だ。他人事だと思っていました」という信者さんへ「アンタ人ではないのか」「自分も人なんだから、他人事のように、うかうか聞いてよいはずはない」と教えて下さっています。
 しかし大先生ご自身でさえ、このようにおっしゃっています。
「私は、自分の鈍なたちでもあるからか、十何年間、同じ話を、百何十ぺんも聞いて、やっと「しまった」と気づかせてもらいました。それは話を聞いていますと、耳にはよくわかり、耳にだけならすぐはまるのですが、それが心にはなかなかはまらんからであります。」
 何故、お話をきちんと聞くのが大事なのか。「金光教のみ教えは、天地の親様のお言葉です。親としてご心配のあまり、子たるお互いに“こうしてくれッ”とお頼みになっているお言葉です。“こうしてくれんことにはわしが助からんばかりか、あんたらも立ち行かんのじゃから”と言うて聞かして下されているお言葉です」と初代大先生はおっしゃっています。
 私も二代親先生(湯川信直師)のお話を青年会や親教会で聞かせて頂きました。「またあの話か」「あの話は分かっている」と思いながら聞いていたこともあり、このお話は耳が痛いところがあります。でもありがたいことに耳に残っていました。
 二代親先生が亡くなられたあと、どうしようかと思った時に「我が力ですると思わず、まず神様にお願いすること。もう一人の親様に何でも相談して“こういうことで分かりません。分からせてください”とお願いしなさい」と教えて頂いていましたので、一生懸命お願いしました。そうしますと、ある人が来て「こうです。二代親先生がこのようにおっしゃっていました」と教えて下さいました。話を聞いておいてよかったと、改めて思わせて頂きました。
 お話を聞いて、その時は他人事だと思っていても、いつ自分もその境遇になるかしれません。しっかり耳に貯めさせて頂いていれば、あとでそのお願いの仕方ができていくのではないかと思います。
 聞いたお話の使いよう
「食物はみな人の命のために天地の神の作り与えたもうものぞ」というみ教えがあります。「食事がまずい」という家族に、「神様のお下がりでしょ、有難く頂きなさい」と相手に押し付けるのは、み教えを勝手に使っていることになり、これはご無礼になってきます。
 み教えは改まってほしいという、神様の願いが込められているのですから、まず自分の手元を見て、自分に間違いはなかったか、気づかせて頂くことが大切です。「相手に不足を言う前に、まず自分に不足を言いなさい」という大先生のみ教えです。私たちは相手のことはよく見えます。目は前に向いていますから、あの人はこういう癖があるとか、あの点がいけないなどとすぐ分かります。しかし自分の姿や行動は案外見えないものです。目を自分に向けて、例えば子供や孫に粗雑な行いが見えたら、その子供の親は自分だと気づき、自分もそういう粗雑なところがないかと改めさせて頂いて、子供の行動が治ったということもあります。
 しっかりお話を聞いて、もう一度自分の手元を見て、間違いはないか、こんなことくらいいいだろうとしてきたことが積もっているかもしれません。自分の悪い点を気づかせて頂くというのが、一番いい話の聞き方・使い方ですという大先生のお話だと思わせて頂きました。
 初代親先生の五十年祭のお年、しっかりと話を聞かせて頂き、一つ一つ改まって、おかげの受け皿を作らせて頂きたいと思います。