湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一
お徳の中で 教会長 銀座だより7月号
五月は二代親先生(湯川信直師)がお隠れになって十九年になります。
玉水教会初代大先生(湯川安太郎師)の信話集に【「死んでもままよ」というところまで、私たちも行かせて頂かんなりません。そこまで行かんことには、本当に信じたとはいえないんですからな。そこまで信じられたら、もう何も怖いものはおまへん。命が惜しいから、心配もし、恐れもするんと違いますやろか。「死んでもままよ」と命を神様にあげた以上、あとはなにもない。これを「懸命の信心」と言いますんじゃ。】とあります。
二代親先生は平成十八年一月最後の教話でこの部分を読まれました。初代大先生が「死んでもままよ」とおっしゃる、これが本当の信心だとおっしゃっています。二代親先生ご自身、神様におすがりして“体調が悪いけれども絶対おかげ頂く”の思いで、このお話をなさったと思います。二代親先生は最後の最後まで懸命の信心をなさいました。最後まで疑わず、迷わず神様に任せきった。それが私の中へ続いてきて、私の中心に残っていることが、その証拠だと思います。
二代親先生は「神様を信じるのが信心」であるとよくおっしゃいました。理屈もなにもなく「丸々神様を信じるのが信心」と。しかし簡単なことではないです。一足飛びには出来ないですが、例えば一生懸命神様に向かって伝票を入れる。支払いがありますからと。そうすると、ちゃんとその時に神様が用意して下さる。信じたらそれが出来てくるわけです。私も何十回とその所を通らせて頂きました。
神様は、神様の方から「どうぞ信心しておかげを受けてくれ」と頼まれています。不思議ですね。初代大先生が貴田商店へお引き寄せ頂き、提灯のご神名を思い出させて下さり、貴田商店の奥様が大阪教会の信者だったと後でわかるのですが、神様は私たちの見えない所で、親先祖から引っ張って下さっているのです。
高須教会の安部利見先生の話があります。信心するきっかけは肺結核でした。お母さんが金光教の信者でした。肺結核で大喀血をし、血が止まらない。神様に「助けて下さい」とお願いすると血が止まった。ありがたいとその時は思う。しかし疑いの心が出てくる。また喀血。注射をする。止まらない。神様にお願いする。止まる。「ああ、ありがたい」。また疑いの心が出てくる。これを二十五回繰り返して、やっと「神様のおかげだ」と。ここからの安部利見さんは神様を丸々信じて、とうとう大勢の人を助けるようになっていくわけです。
私たちは今までにどれだけ神様に助けて頂いているか。体のこと、経済のこと、み霊様のことなどなど。これだけ神様に助けて頂いているのに本当に信じ切っているか。まだまだだなあと思いました。
二代親先生は「我が力ですると思わずに、よくお願いしてからさせてもらいなさい」とおっしゃいました。これも簡単にみえることなのですが、いざ目の前や家族に問題が起こったら、我が力でしようとしている私たちではないでしょうか。
「まことの信心をさせて頂けますように、とお願いの中に一つ入れておきなさい」とも、教えて下さいました。
今日のお話のように丸々神様を信じて神様と一緒にならせて頂くこと。これがまことのおかげです。神様に何遍も何遍も助けられて、その積み重ねが、心配せずに「ご祈念していけばいい」と分からせてもらえるのです。
おかげ頂いたら、しっかり積み重ね、積み重ねて自分の信念を築いていくことが大切と思います。
初代親先生五十年、二代親先生二十年を迎えます。本当の信心に近づけさせて頂けるように、共々に進めさせて頂きたいと思います。