湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
湯川誠一大人例年祭を迎えて
今月1日には、祖父・湯川誠一初代親先生例年祭を仕えさせていただきました。今年は35年のお祭りで、振り返ると、父・湯川信直二代親先生のもとでお仕えした30年祭から、もう5年もたつのだなあと感慨深いものがあります。
亡くなって30年以上も経ちますと、もう生前の祖父のことを知らない方の方が多いはずなのですが、毎年大勢の方が例年祭にお参りになるというのは大変なことだと思います。「初代の親先生にお取次を頂きおかげを頂いたのだよ」と親が子供に話して聞かせ、自然と子どもも教会にお参りして二代親先生の取次を頂くようになり、そしてその孫がまた、という具合にそれぞれの家庭の中で今も初代の親先生がずっと生き続けているわけです。それはどうしてなのかということを考えてみますと、やはり、祖父は“自分が”という思いでご用をしていなかったということが大きいように思います。それを“自分の力でここまでにした”というような我を出していましたら残らないのでしょうけれど、祖父は最後まで“大先生(玉水教会湯川安太郎初代大先生)になり代わって”という姿勢でしたから大先生のお徳をいっぱい頂いて、今もこうして私たちがおかげを頂けるのだと思います。
大阪で難儀をしていた若いころ、初代大先生とめぐり会って家庭が助けられ、のちに弟子となってお道の修業をさせて頂くようになった祖父は、生涯、大先生を師匠と仰ぎ、そのご恩を、自分の信心の原点として、それを忘れないようにしていました。
銀座教会は、「何としても東京にいる難儀な人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい。自分が東京に足を踏み入れた責任においても」という大先生の念願を受けて、祖父が東京布教に出たことに始まりました。
しかし、祖父は“自分が布教するのではない。大先生に成り代わってさせて頂くのだ”という心で生涯貫き、銀座教会長は大先生だと頂いていました。
祖父の信心は大先生の信心を頂いていくことでしたが、大先生がご存命中には公刊されていなかった教祖様のご伝記、金光大神の信心、すなわち金光教の信心を記載した『金光大神』が昭和28年に公刊されるや、繰り返し読んでその信心を追求し、大先生の信心が教祖様の信心に一分の狂いもないことを悟りました。
それで、ご帰幽になる昭和50年には玉水の流れを汲む教会にお引き寄せ頂く者は、大先生の信心、湯川安太郎信話集に込められた信心を頂いていくことこそが金光教の信心をさせて頂くことになるのだと闡明(せんめい)したのでした。それが今日の『道輝会』なのです。
そうした祖父の姿を見ていた父もまた、初代大先生のご信心を頂いて、“大先生に成り代わって”ということがどういうことなのか、また“真の信心、真のおかげ”ということは、日々の生活の中でどのように神様を見出していくことなのかということを懸命に求め続けていたように思います。
30年祭から5年、父が亡くなってから4年、私にとっては、ただひたすら初代、二代の親先生になり代わってという思いで無我夢中でご用を務めさせて頂いてきましたが、今ようやく、“大先生になり代わって”という頂き方、また“神様と一緒に生活する”という祖父や父の思いを受け継ぐことがどういうことであるのかを真剣に考えさせられるようになってきました。
それをただ頭で分かるだけでなく、本当に求めていって分からせて頂き、日々の生活に現していけるようにならせて頂きたいと願っています。









