湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
改めてまことの「信心生活」の"実行”を
おかげの中で、平成22年の新春を迎えさせて頂き、真に有り難いことです。
昨年は、立教150年の式年に当り、10月には首都圏こぞって御礼の団体参拝のおかげを頂くとともに、5月に、父湯川信直二代教会長三年祭、7月に、湯川ツヤ初代教会長夫人15年祭、12月には湯川泰雄三代大先生10年祭と、節年のみ祭りに心からの御礼の誠を捧げさせて頂き、各自おかげを頂かれたことと思います。
また、私事にわたりますが、9月には私たち夫婦に長男を授かり、ご神慮、真に有難いことでありました。
今年は、式年の年に頂いたおかげを土台に改めてその信心を“実行”させて頂く年と受け止めたいと思います。
立教神伝は、神様が教祖様にお取次専念をお頼みになったということですが、実はその生活が神様と一つになること、生活のすべてを神様の生活に切り替えられたということを意味します。そこを二代親先生は、「まず神様のことが分かっているか?私たちは息の差し引きから一切生かされている。しかしとかく人はどうしようもなく行き詰るとお取次ぎを願い、問題が解決すると有難いと言うが、み教えに『いつも壮健(まめ)なのが有難い』とあるように、神様は願い以上の広大なおかげを下さっている。息の差し引きまでお礼申しているか?すべては当たり前のことではない。そこが分かれば一心の願いが出来てくる」と教えて下さっている。今年はそこを“実行”していくことが大切であると思うのです。
「オギャー」と泣くわが子の第一声を聞いて、それが炭酸ガスを吐き出すことと教わり、正常に呼吸すること自体、神様のおかげと分からせて頂きました。母乳を求めて声を上げて泣き訴える幼子が、それを与えられると安心な表情になる姿は、神様のおかげの中に生かされて生きていることを実感させてくれます。
このように天地の恵みを受けて生かされて生きている私たちが、とかく自己中心の生活をして、困った時の神頼みとなってはいないでしょうか。
現代の様々な難儀−人間生活も、経済も、そうした人間のしてきた身勝手なことが基になっているのではないでしょうか。神様から頂いたものをどう頂き、改まっていくか、そこが分からないのでおかげを頂けないのではないでしょうか。
これからどのような状況になっていくかしれませんが、私たちは何をすべきか−今こそ神様に心を向けて足を運ぶ、“足信心”をさせてもらわねばと思うのです。
ある商売をされている方が、その仕事がうまくいかないという。嘆いてもどうにもならない。そんなときこそ、初代大先生がおっしゃるように「一心に教会に足を運ばせて頂き、神様にすがっていかなければならない私たち」なのです。真におかげが分かっていないが故に神様に心を向けられない。真に助けて下さる神様を教祖様が教えて下さり、初代大先生がその助かりの道筋を示された信心を私たちは頂かねばならない。現に不況の今、仕事が無くて毎朝お参りされて、仕事のおかげを頂いておられる方もある。素直に実行すればおかげをいただけるのです。
信心の4つの目的の1つ、「清らかな心」−赤ちゃんのように、純粋な心で天地の親様に一心にすがることが大切です。とかく我が出たり、世間体を気にして真に神様にすがることが抜けていないかを問いつつ、今年は、まず“神様をご主人”と頂いて「足信心」の実行、次に「教話を聴くこと」が肝要です。力のない自分故にお取次ぎを頂き、神様に“させて頂く信心”に力を入れてまいりたいと願っております。真の“信心生活”の実行にともども取り組んでまいりましょう。









