湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
神様を信じきる(福崎教会長先生の講和から)
「銀座だより」2015年9月号 「お徳の中で」より
この六月、道輝教師会の研修会に参加させて頂きました。これは二年に一度行われるもので、今回は兵庫県の福崎教会にお参りして、教会長先生の講和を聞かせて頂きました。
福崎教会は中国自動車道の福崎インターを下りて車で三十分ほど行ったところにあります。私は今回初めて行かせて頂いたのですが、三千坪という広大の敷地の置くには、語本部広前の会堂をそのまま小ぶりにしたような会堂が、また手前にはお祭りで使われる大きな祭場まである大変ご比礼のたっているお教会です。
福崎の教会長先生は、初代の先生の下で修行生をなさっていて、初代ご夫妻の一人娘と結婚し婿養子に入られたそうです。その先生がお話下さった心に残る講和の中から私が聞いて感じたままをお話するので、聞き違いもあるやもしれませんが、よろしくお願い致します。
今の先生が後を継がれた翌年の昭和三十七年のこと。当時、福崎教会の信者さんに土建会社を経営される方がおられました。ご夫婦で参拝なさる熱心な信者さんでしたが、会社の経営は上手くいかず、ついに会社は倒産してしまいます。それで、福崎の先生は再起をかけるその方が有志を受けられるようにと便宜を図り名義を貸します。そのお金で経営は一時好転しますが、二年後には再び倒産。その結果、名義を貸した先生は莫大な借金を背負ってしまいます。
これから夫婦で力を合わせてご用をして行こうという矢先にこんなことになり、“初代に申し訳ない。死んでお詫びするしかない”と先生は本気でそう思われたそうです。
そんな中、昭和三十九年の十二月、初代の先生の墓前で一心にお詫びしていた時に、「死んだと思うて土につけ」という初代の声が聞こえました。「土につけ」とは、“この大地にすがって行け”ということ、つまり“しっかり天地の親神様におすがりして行きなさい”ということだと先生は受け止められました。それで、先生は“自分にはこれしかない、何があろうと神様のご用を一心にやらせてもらおう”と腹が決まったと言います。
いったん心が決まれば、借金取りが来ようと何があろうと動じません。ご神前に座りご祈念を続けられるようになりました。そうしてお取次のご用を一心に続けるうちに、だんだんと信奉者も増えて行きました。
そんな中で、当時まだご健在だった福崎の初代の奥様が姫路で行われた研修会に参加され、そこに来ていた銀座の初代親先生に「実は…」と相談をされました。すると、後日人を通して銀座の先生から「人の借金を背負わされることなどつまらんことだと思うが、これを福崎に尽きぬ財のおかげを授けて頂くための試練だと思って、しっかり信心させてもらいなさい」とお言葉を頂いた。“これは有り難い言葉を頂いた”と思い、その後夫婦で銀座にお参りに来られたそうです。
借金はすべて返すことができました。それも信心一筋、お取次のご用一筋で返されたのですからすごいことです。そして、さらにおかげを頂かれ、市街地から今の三千坪の土地に移り、今に至っているわけです。
銀座の初代親先生は福崎の先生に、「この神様は不可能を可能にしてくださる神様」と言われたそうです。“どこまでもこの神様を信じて一心におすがりしていく”ことができればどんなことでもおかげにしてもらうことができるのです。それがフラフラと二心にも三心にもなるからどうにもならない。「おかげはわが心」です。“神様を信じきる”という心を授けて頂くよう、日々の信心の稽古をさせて頂きましょう。
(6/25月例祭)









