今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

ご本部広前では

「銀座だより」2014年12月号 「お徳の中で」より

ご本部広前におきましては、春と秋にご大祭が執り行われます。春は天地金乃神様のご大祭、秋は教祖生き神金光大神様のご大祭。我々も団体参拝をさせて頂きます。湯川誠一初代親先生は、「ご本部参拝はお礼の参拝である。ご本部では、お願いなどしなくてよい。お礼さえしっかり申せばよいのだ」と言われています。

玉水教会の湯川安太郎初代大先生は、教祖様の奥津城にお参りされると、教祖様に向かってお礼された後、必ずご生家の方へも手を合わせられました。その思いは、「難儀な氏子であった自分が、このお道の信心によっておかげを頂くことができた。その信心の源を辿ると教祖様に至る。教祖様のご信心によっておかげを頂いている。そう考えると、教祖様にお礼申すのは言うまでもなく、教祖様を生んで下さったご両親にもお礼を申さずにはおられないのだ。」というものでした。銀座の初代親先生も然りでした。

玉水の初代大先生も、銀座の初代親先生も、教祖様のお取次を直接に頂かれたわけではありません。大先生は大阪教会、道広教会の先生のお取次を頂いて信心を始められ、銀座の親先生は玉水の初代大先生のお取次によっておかげを頂かれました。けれども、そのおかげの元はと考えたら、信心にある。さらに、その信心の源を辿っていくと、教祖様のご信心に行きつく。すべてはそこから始まっている。そのことが本当に分かれば、有り難くて、ご本部に参ってお礼申さずにはおられない気持ちになるのです。

銀座の湯川ツヤ初代親奥様は、ご本部のお結界でのお礼の仕方について、「私は金光様にまず、『日々銀座のお広前にお参りさせて頂いて、教会長先生のお手続きを頂き、先生のお導きでおかげを頂いております。ありがとうございます』と言う。これがご本部で金光様に申しあげるお礼で、事細かなお願いは普段自分の教会でしっかりしておけばよいことだと思う。」とおっしゃっています。

また、かつて四代金光様の時代、銀座教会のある信者さんがご本部参拝をして、金光様に、普段銀座のお結界でするような細かいことまでお届け申し上げて、「いかがしたらよろしいでしょう」とお伺いをしました。すると、金光様はこちらを向かれて「それは銀座の先生にお聞きしなさい」と言われたというお話もあります。

誤解しないで頂きたいのですが、私はご本部ではお願いやお伺いをしてはいけないと申しているのではありません。分かって頂きたいのは、自分のお参りしている教会はご本部広前の延長であり、教会のお結界は金光様のお取次の延長であるということです。

どの教会の先生も“金光大神に成り代って”お結界のご用をなさっているわけですから、その先生に話を聞いて頂いてお取次を願えばよいのです。そうすれば、ご祈念お取次をして下さいます。そのお取次は誰に願っているのかと言いますと、生神金光大神様、天地金乃神様にお願いをしているのですから、それで神様に通じているのです。

ですから、ご本部広前では細かいことまでお届けするよりも、普段自分の教会に参り、我々であれば、銀座教会にお参りしてお取次を頂き、日々おかげを頂いていることのお礼をしっかりと申し上げることの方が大切なのです。

信心の源は教祖様にあります。たとえご本部に参ることは出来なくても、銀座教会に参ってお願いをすれば、そのお取次は、教祖生神金光大神様を通して、天地金乃神様につながっています。それがどれだけありがたく大事なことであるかを分かって、ご本部広前へは真のお礼を申しにお参りさせて頂きたいと思います。

(10/1 月例祭)