今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お神酒さんについて

「銀座だより」2014年10月号 「お徳の中で」より

八月一日には湯川誠一初代親先生の例年祭に併せまして、湯川ツヤ初代親奥様の二十年祭のおかげをこうむりました。その偲び草として作りました小冊子に、親奥様が「お神酒(みき)さんについて」話して下さった一部が載っております。

お神酒さんというのは、神様にお供えしたお酒です。それを口に含み、怪我や病気で悪いところに吹きかけて、治して頂く。初代親奥様は「お神酒さん博士」と言われるほど、多くの方におかげを頂かせたお神酒さんの達人でした。

親奥様はお神酒さんでおかげを頂く作法として「吹く前に“先生に代わってお神酒さんを吹かせて頂きます。即座におかげを頂かせて下さい”とお願いをする。そして、吹くときには“生神金光大神様、天地金乃神様、ありがとうございます”と無念無想で吹く。それが秘訣」と話しておられます。それを自らの祈りと体験によって体得されました。最初のうちは「どうぞこのお神酒さんでおかげを頂かせてください」とお願いをして吹いていたのですが、それではどうも神様からおかげを頂ける感じがしない。そこで、「どのような思いで吹いたらよいのか、私には分かりませんから教えて下さい」と長いことご祈念した末に「先生に代わりまして」とお願いするのが近道だと気づかれたのだと言います。

何故それが近道になるのかと考えますと、「このお神酒さんで」というときには、まだ「私が吹いておかげを頂く」という我があって、それが邪魔をする。それに対して「先生に代わって吹かせて頂く」という思いに徹することができれば、我が抜けて、親先生のお徳をもって神様から直におかげを頂けるようになる。そういうことではないかと思います。

これはお神酒さんの吹き方に限らず、お願いの仕方一般に当てはまる秘訣でありましょう。私はご祈念をするときに「初代、二代親先生に代わりまして今から信奉者一同のことをお願いさせて頂きますから、どうぞよろしくお聞き届けくださいまして、変わりなくみかげこうむらせて頂きますように」とお願いします。皆さんの場合は、「先生のお取次を頂いてご祈念させて頂きますから、どうぞ」とお願いをなさったらいいと思います。そうして、お取次を頂いたら、神様はお聞き届けくださっているのですから、安心してお任せしたらいい。余計な心配はせず、ありがたい気持ちでことに当たらせてもらえばおかげは頂けます。

ところで、親奥様はお話の中で「教祖様が『箸のこけたようなことでもお願いをせよ』と言われれるお願いの中身には、「何かスーとしたものが要る」ともいわれていて、どういうことだろうと私は何度も読み返して考えておりました。そんな折、初代親先生の『湯川誠一教話抄』の「隔てなく祈れ」というお話を読んで、ようやく「ああ、こういうことか」と合点が行きました。

「隔てなく」というのは神様と私たちの間に隔てがないということです。神様のお働きの中に私たちはあり、神様は一切を見て下さっているのだから、何の遠慮もせず、どんなことでも神様におすがりをしていったらよい。「自分がこんな心だから助けて下さらないのではないか」というような心は持たず、「助けてもらわずにはおれない自分であるからお願いします」と隔てなく祈る。親奥様が言われている「スーとしたもの」とはそういう心持ちをさすのだろうと思いました。

「お神酒さんでおかげを頂く」というと、何か神秘的な“わざ”のように思われますが、そこにはやはり信心の裏付けが必要なのです。親奥様のお話も「何事も信心でおかげを頂いて下さい」と締めくくられていることを見逃してはならないと思います。

(8/6月例祭)