今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

人を責めるよりも自らの改まりを

「銀座だより」2014年6月号「お徳の中で(3/25月例祭)」より

三月は学校の卒業、学年の終了の時期です。せがれも今日、幼稚園の一年を無事に終えさせてもらいました。先生や友達にも恵まれて一年間元気に通わせて頂けたことは本当に有り難いことです。

四大金光様のお歌に「父母(ちちはは)も、子供と友に生まれたり、育たねばならぬ、子も父母も」とありますが、この一年間で見違えるように成長したわが子を見て、親として大きな喜びを感じると友に、果たして親の私の方はどれほど成長したのだろうかと考えさせられます。

湯川安太郎玉水教会初代大先生は信話集九集の「わしは親じゃぞよと自分にじゃをつけるな」と題された教話の中で、「子供が言うことを聞かない」と愚痴を言う親に対して、「人の話を一から十までは素直に聞けないのが人間である。それは子供に限ったことではない。子供が言うことを聞かないのは、自分に至らないところがあるからだと思って、子供の健やかな成長をお願い申すと共に、自らも改まりのおかげを頂けるように信心に骨折らなくてはならない」と言われています。私も「教話では偉そうなことを言っているくせいに家では違うじゃないか」と子供から言われない親になれるように努めなければと思います。

「人を責めるよりも自らの改まりを」ということでは、私も金光教学院時代に経験があります。金光教教師の養成所である学院には、高校を卒業したばかりの若い人から、会社を定年退職された熟年の方まで幅広い年齢層の人が生活を共にします。そのため世代の違いによる様々なことが起こります。

入ってから間もない頃に、高校を出たばかりの若い人が、私を「ボン」とあだ名で呼ぶようになりました。私を東京の銀座教会の息子と知ってのことで、都会育ちで苦労知らずのボンボンということでしょう。確かに畑仕事や便所掃除のご用などは、田舎育ちの彼の方が手際よく出来るのです。でも何かにつけて「ボンだから出来ないよな」とチクチク言われますと、大学を出てから入っている私の方が年上ですから、“なんでこんな若造から”という思いと、言われていることが当たっている部分がありますので、いろいろな意味で心が乱れます。初めの頃は、そういう私の“我”と言いますか“心の癖”が取れなくて苦労しました。

けれども、あるとき“そうだ、ここでは年齢も、学歴も、肩書きも関係ないのだ。本部広前の一修業生として、ゼロから修業させて頂かなくては”と思い替えが出来ました。そのきっかけを与えてくれたのは、その頃読んでいた初代親先生の「教話集」でした。それからは何を言われても気にならなくなり、修業に専心っすることができるようになりました。そのうちに、彼も私が嫌な顔をしなくなったのでつまらなくなったのでしょうか、だんだん「ボン」と言わなくなりました。むしろ、私の取り組む姿を見て「慣れないことを一生懸命に頑張っているのだな」と今までとは違う見方をしてくれるようになりました。私も彼のよいところが見えてきて、いつの間にか心のわだかまりも消え、敬い合える関係になっていました。相手に求める前に、まず自分の手許を見て改まることが大切であると神様が教えてくださったのだと思います。

三月は御霊祭月でもあります。

初代親先生は「親先祖への一番の供養は家庭の円満である。子孫の者がそろって信心をし、家族和やかに毎日を喜んでありがたく暮らしていたら、それを何よりも親先祖は喜び安心してくださる」と言われています。

家庭以外でも、和賀心で円満な人間関係を築かせて頂けるように骨折っていくことが、信心を進めていく上では大切なことなのです。