今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

今月のことば(天地の恩を知る)

「銀座だより」2014年9月号 「お徳の中で」より

恩を知るというても、おまず第一に天地の恩を知らななりません。教祖がお出ましになって、このお道をお立てなされたのも、この天地の恩を知らそうとなさってのことです。そら天地の恩を知らんということがご無礼で、これが私らの運命を支配することになっているからです。天地の恩が分かったら、そこからおかげを頂く道がついてきて、あらゆる恩に報いることができますんじゃ。
(湯川安太郎信話第十二集第一章「まず頭に入れといてほしいこと」から)


これは湯川安太郎玉水教会初代大先生が若い青年信奉者に対してお話をなさっているところであります。

信話の中で大先生は、「まず第一に天地の恩を知らなくてはならない。教祖がお出ましになってこのお道をお立てになられたのも、この天地の恩を知らそうとなさってのことです」とおっしゃっています。ここは非常に大事なところでありまして、私たちは何のために信心をしているかというと、たいていの場合、自分や自分の周りに問題や心配事があって、そのおかげを頂きたいというところから始まります。なんとかおかげを頂きたい、その思いで教会にお参りしてお願いをする。決してそれが悪いわけではありません。まずは目先の問題でおかげを頂きたいと思うのは当然です。初めはそれでもよいのですが、実は大先生がおっしゃっているように、天地の恩が分かったら、そこからおかげを頂く道が自然とついてくるのです。何十年信心をしていても、そこのところがなかなか分からない。

実際、教祖様の時代でも、お取次を願う人々はたいてい、病気平癒、商売繁盛のこと、人間関係などでおかげを頂きたいという思いで、教祖のもとを訪れています。すると、教祖はお願いしたことではなくて、『天地の道理、天地の恩』について諄々(じゅんじゅん)と説いていかれました。

中には「金光様、私は病気を治して欲しくてお願いに来たのですが」と思われた人もあるでしょう。けれども、教祖様のお話を聞いていくうちにだんだんと、「私は今まで何も分からずに、愚痴不足を言ってご無礼ばかりしておった。金光様から初めて教えて頂いた」と気づき、心からお詫びをしたら、長患いの病気が治って、目の前の問題でおかげを頂いたという話もあります。まさに、信心をすれば、おかげの道がついてくることをまざまざと見せて頂いたのです。

教祖様のみ教えに『天の恩を知り手、地の恩を知らぬこと。これまで店の恩を知る者はないでもなかったが、地の恩を知る者がなかった。これからは天地の恩を知れよ。天は父であり、地は母である。天の恩を知って地の恩を知らぬは、父あるを知って母あるを知らぬと同様である。天地の恩を知って天地金乃神と拝み、生神金光大神の手続きをもって天地金乃神と一心におすがり申せば、方位方角は言うに及ばぬ。普請作事、縁談縁組自由勝手たるべし。何時何事をするも差支えなし』とありますように、教祖様がお出ましになる以前は、天の恩を分かってお礼申す人はいても、地の恩を知る人はいなかったようです。

だから、所かまわず放尿したり、お土地に対して色々な無礼を平気でしたりしていました。それで、悪いことが起こったら「金神の祟りだ」と言って人々は恐れていました。

金神というのは、分かりやすく言うと、大地を司る神様です。教祖様の時代には、金神は祟り障りをする怖い神様だから避けなくてはいけない、家を建てるにも方角や日柄ばかりを見て避けてきた。しかし、教祖様のご信心が深まるにつ入れ、実は祟り障りをする神様ではなく、助けて下さる神様であることが分かってきます。