湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
初代大先生七十年祭を迎えるにあたって
「銀座だより」2014年3月号「お徳の中で(1/6立教記念祭)」より
いよいよ湯川安太郎玉水教会初代大先生の七十年祭を迎えることになりました。初代大先生七十年債祈願詞の中にある“「わが墓を汝等がおかげの花で飾れよ」との、御言葉にかなう信心を得しめ給え"とお願いさせて頂いてきました。
この「おかげの花で…」の言葉は『湯川安太郎信話集第十二集』の「まず頭にいれといてほしい」と題された、若い信者さんたちへのお話の中に出てきます。そこを読ませて頂くと「まず天地の恩を知らなくてはいけない。天地の恩が分かったら、そこからおかげを頂く道がついてきて、あらゆる恩に報いることができる」とおっしゃっていて、「私の墓をおかげの花で飾ってもらいたい」という言葉はそのあとに出てまいります。
ここで大先生が言われている「おかげの花で飾る」というのは、「墓石の周りに花をいっぱい飾る」という意味ではありません。ただ物質的、経済的なおかげを頂いていることのお礼としてお花を沢山お供えしても、大先生はあまり喜ばれないでしょう。そのおかげの裏付けとして、しっかりとした信心がかるということが肝心だと思います。
大先生は「早く一人前になって、親を安心させなくてはいけない」とも言われていますが、これも早く天地のご恩を知りおかげの道をつけて頂きなさいと言われているのだと思います。信心の裏付けなしに一人前になったところで、いつどう転ぶか分かりませんから、親に本当に安心してもらうことはできません。
どうぞ大先生に喜んで頂けるような信心を進めさせて頂き、本当の「おかげの花」をお供えして頂きたいと思います。
ところで、私たちは「初代大先生の七十年祭」といって騒いでおりますが、実のところ大先生にとってはいつもの例年祭と変わらないのかもしれません。もちろん、区切りの式年祭というのは大切にお仕えしなくてはなりませんが。
確か、大先生の五年祭のときに、銀座の初代親先生がご霊前で「明日はあなたさまのお祭りを仕えさせて頂きます」と申し上げたところ、「わしはお前たちにお祭りをしてもらうのではない。生神金光大神様・天地金乃神様にお祭りをして頂くのだ」と言われたというお話があります。それまでのお祭りではそのようなことはおっしゃらなかったのに、五年目にそう言われた。これは大先生も御霊として年々お徳を積まれ、信心を進めておられるということなのだと思います。そして、今年が七十年目ということおになりますと、むしろこちらの頂き方が問われているのではないかと思います。“七十年祭のお祭りだから大先生のお徳を頂きに行く”。それもありますが、それだけでなく、この式年祭は我々が信心を真剣に取り組ませてもらう機会として頂いていかなくてはいけないのです。改めて大先生の言われている「真(まこと)の信心」を本当に分からせて頂き、神様が「受けてくれよ」と言われる「真のおかげ」を受けられるようになりたいものです。
毎年、年の初めの月例祭でお話しているのですが、大先生は「信心の目的」として四つのことを挙げておられます。
第一に「常に心を清らかに持たせて頂くために」、第二に「角立つ心を丸くさせて頂くために」、大さんに「災いを転じて幸せにさせて頂くために」、第四に「自分の役割を明らかにして責任を果たさせて頂くために」。さらには、『人を助けたい』というご神願ご成就のお役に立たせて頂くことが、広大なおかげを頂いている神様への一番のお礼であり、信心の究極の目的ではないでしょうか。









