湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
立教記念祭にあたって
「銀座だより」2014年2月号「お徳の中で(11/15立教記念祭)」より
本日は立教記念祭のおかげを頂き、まことにありがたいことであります。
今から百五十四年前の安政六年十月二十二日、教祖様は神様から「家業である農業をやめ、難儀な人々を助けるために取次に専念して欲しい」とのお頼みを受けられました。いわゆる立教神伝です。
教祖様はこれを機に、取次に専念されることになりました。新暦では今日の十一月十五日がその日にあたり、金光教の立教の日としてお祭りをお仕えしております。私どもが、こうしてお参りをさせて頂く教会があって、朝に夕にお取次を頂き、お礼を申し、お願いを申して、おかげを頂いておりますのも、すべてここから始まっているのです。改めて、銀座の初代、二代の親先生が「神様と教祖様にお礼申さずにはおれない」と言って、このお祭りを大切に仕えておられたことの意味を分からせて頂きたいと思います。
これ以前にも教祖様は神様からいろいろなお知らせやお試しがあり、その都度実意丁寧にお受けになるうちに、ご信頼を頂き、しだいに農業をしながら、願いに来る人があれば取次もなさるようになっていました。そうした神様と教祖様の関わり合いの中でこの立教神伝にいたるわけですが、一言で取次専念と申しましても、それはようにならぬことであったことが、ご伝記『金光大神』の記述からもうかがえます。今後の生活の不安はいうまでもなく、江戸時代という当時の社会状況からして、百姓が農業をやめるというのは簡単に許されることではありませんでした。そのためでしょう、神様は教祖様を気遣い、実に丁寧にお頼みになっておられます。そこには、それでもやはり難儀な人を助けて欲しいという神様の切実な願いが感じられます。
立教神伝の後半に、「この方のように実意丁寧信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。」とあります。この部分は、普通に読めば「この方(教祖様)のように実意丁寧に信心しているものが、世間に大勢いる難儀な人を助けてやってほしい」となりますが、もう一つの解釈として「この方のように実意丁寧に信心していても、難儀をしている人が世間には大勢いるから、助けてやって欲しい」とも読むことができます。確かに教祖様は元々信心深く、何事も神仏に無礼のないようになさっていたにも関わらず、様々な苦難に遭っておられます。そういう悪い運命にある人を取次によって助けてやって欲しいと神様は言われている。
そうしますと、私たちはやはり難儀な氏子なのであり、信心しなければ助からないところをお引き寄せ頂き助けて頂いているということになります。メグリが深い難儀な家柄であった人が、親先祖の信心によっておかげを頂いているということもあります。私たちは難儀な氏子という自覚をもって油断のない信心をさせて頂かなくてはならないと思います。
また、私たちは立教神伝を天地金乃神様が教祖様にお頼みになったというお話としてだけではなく、我々自身への立教神伝として頂く必要もあると思います。教祖様は「おかげを頂いたら、まだまだ難儀な氏子が大勢いるから、取次ぎ助けてやってくれ」と言われています。信心しておかげを頂いたら、今度はこのお道を知らずに難儀をしている人を導き助けるお役に立たせてもらうこと、それが神様が私たちにかけておられる願いです。
来年の二月には玉水教会湯川安太郎初代大先生の七十年祭をお迎えします。
「わが墓をおかげの花で飾れよ」という大先生のみ言葉にかなう信心は何かと考えますと、やはり一人でも多くの人を助けるお役に立たせてもらうことが、一番のお礼になるのではないかと思います。









