湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
信心即生活、逃げずに取り組む
「銀座だより」2014年7月号「お徳の中で(4/25月例祭)」より
信心と言うと、教会に参ってご祈念し、お願いしてお届けをしたら、それで信心しているように思ってしまいますがそうではありません。
教会では信心の稽古をさせてもらい、それを実際の生活の中で実践していく。家業(仕事)においても神様にお願いをしながら神様と一緒に取り組ませてもらう。それが本当の信心なのです。湯川安太郎玉水教会初代大先生は「信心即生活・生活即信心で信心と家業とは一つである」と言われています。
学生であれば、一生懸命学業に取り組むことが信心になります。試験が近づいたときだけ参ってきて、「どうぞいい点数が取れますように」と熱心にお願いする学生さんがいますけれど、何の勉強も努力もせずに、切羽詰まったときだけ神様にお願いをして、良い点数を取らせてもらおうなどという。そんな虫のいい話はありません。初代大先生は「私もよく勉強しますから、どうぞ良い点が頂けますよう。不勉強なら落第しても仕方ありません」と言ってお願いするのが本当のお願いだとおっしゃっています。
それなら、自分で一生懸命勉強すれば済むことで、別にお願いなどする必要はないではないかと思うかもしれませんが、それは違います。一生懸命勉強しているからといって、それだけで良い成績がとれるとは限りません。そもそも勉強をするのも、自分の力だけで出来ているのではありません。まず身体が健康でなければならない。経済的にも恵まれていなくてはいけない。本当は何もかも神様のおかげを頂いているからこそ出来るのであって、勉強をさせてもらえていること自体が有り難いことなのです。
話は変わりますが、先日ある若い方が「仕事を辞めたい」と言ってきました。この春大学を卒業したばかりで、一生懸命就職活動もし、結構な大企業に入った人です。ずっと私もお届けを受けていたので、喜んでいたのですが、入社して研修が始まると職場の上下関係やら、仕事の内容やらに色々と不満が出てきて我慢出来なくなったと言うのです。私は「いろんな方にお世話になり、親にも心配をかけて入った会社なのだから、もう少し辛抱してみてはどうか」と話したのですが、「いいえ、もう私は決めました。もう限界です。私は自分ひとりでやっていけますから大丈夫です」と聞く耳を持ちません。仕様がないので、改めてそこからおかげを頂けるよう神様にお願いしましたが、初代大先生の信話に、「早く芸者をやめたい」という芸者さんを「本当にやめたいのなら、三味線がへし折れるぐらいまでその仕事に打ち込みなさい」と諭されるお話があります。どんな仕事を選んでも、必ず理想と現実のギャップに悩み、やめたくなることがあるものです。そんなときに、理屈をつけようと思えばいくらでもつけられます。でも、「これは神様のお試しだ」と思い直して、取り組ませてもらえば、信心が鍛えられて、道もついてくるのです。
私も二代親先生がご病気になられてから、代わって教話のご用をさせて頂くようになりましたが、最初のうちは教話が苦手で、逃げ出したくなることもありました。それでも、泣く泣くたくさんの本を読み勉強させてもらったおかげで、十年近く経った今、少しはお役に立てるようになってきたかなと思います。知らず知らずのうちに神様にお育て頂いていたことを今は有り難く思えます。
何か辛いこと、嫌なことがあっても、そこから逃げずに、お願いをしながら一生懸命取り組ませて頂きたいものです。それがまた、さらに大きな問題が起こってきたときでも元気に乗り越えさせて頂く信心の体力を養わせてもらうことになるのです。









