今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

道輝のみ名を頂き、改めて真の信心実践を

「銀座だより」2014年1月号「道輝のみ名を頂き、改めて真の信心実践を~初代大先生70年祭の新春を迎え、ここから」より

おかげの中で、平成二十六年の新春を迎えさせて頂き、真に有り難いことです。

まず昨年も伊豆大島で台風災害による大きな被害が発生し、さらには三年目を迎える東日本大震災の被災地復興も未だ途上にあり、改めて被災者の立ち行きとみ霊様の助かりを祈念させて頂きます。

布教九十年の昨年は、教祖百三十年の記念の諸行事に取り組ませて頂きました。本年は、湯川安太郎初代大先生七十年祭、湯川ツヤ姫二十年祭という大切な式年をお迎えします。この時に際し、初代大先生のご発願を受けて銀座の地に布教された湯川誠一初代親先生、湯川信直二代親先生の御取次のおかげを今日にいかに頂くかが大きな信心課題となってきます。

特に誠一親先生は、初代大先生の御帰幽後、真の信心が伝承され真のおかげとなって現れるように、『道輝会』の願いを力説され、共励に努められました。さらに昭和五十年の元旦祭で、「初代大先生のみ名を頂いた『道輝会』を今年から発足する」旨の御言葉と共に「諸種の会を一つにして、初代大先生の願いを継承してこの東京の地でおかげを受けて行く」と強く願われました。初代大先生はご帰幽後七十年間、当銀座教会では、誠一先生の御教えどおり父信直親先生が、その後を私が継承し、真の信心を一貫して求めさせて頂いての今があるわけです。今後ともその方向に沿ったあり方を進めて行くに当たって、私どもの信心の手元はどうか、文字通り”改めて”今初代大先生在しまさばどうかと問い、その信心のあり方を求めて行くことが必要と思わせられます。

冒頭申しました伊豆大島には、当教会の関係協会である伊豆大島教会があります。おかげを頂いて教会とその家族は無事でしたが、一部関係家屋が土砂により被災しました。しかしその後、予定通り生神金光大神大祭を無事仕えることが出来、日々の御取次が変わりなく続けられておりますことは、有り難いことであります。今日までお心配り頂いた皆様にあつく御礼申し上げます。
省みますと、伊豆大島の地は、玉水教会の修行者の中から、初代大先生が三代金光様にお伺いし、その御命を頂いて三好彦市先生が布教に赴かれて道が伝わったのです。考えてみますと三好先生が伊豆大島の布教に赴かれたおかげでこの度の難儀の中にあってもお守り頂いたのだと思うのです。初代大先生七十年祭を前に、この度の事態を、信心でどう頂くか、おかげにしていくか、課題を頂いたと受け止めております。また三好先生は銀座教会でご修行され、初代親奥様湯川ツヤ姫に関し、「修行者の中で私程お世話になった者はいない」と親身の御指導への感謝の思いを述べておられます。初代大先生の子であるツヤ姫の「人を思いやる心・人を軽く見ない心」の強さに、御礼の心で今年の初代親奥様二十年祭をお迎えしたいと思います。

世の風潮に流されぬ生き方を
初代大先生は、「ブリがお好きであった」と言われますが、実は御取次で食事をゆっくりとれない状況の中で、骨の少ない魚をとの御配慮からというのが真実だとお聞きしています。また書だ大先生は「人を思うこと人後に落ちず」とおおせられ、誠一親先生は「あんた近頃どうや」と参拝信奉者にお心遣いなさっておられました。この人を思いやる心こそ人助けの原点と思います。その心で信奉者もまた難儀な人の助かるようなお手引きさせて頂くおかげを受けて頂きたいものです。

今の世の風潮に流されず、自己の大切な生き方の土台を改めて「信話集」に求め、ともに研鑽して参りましょう。今日のサラリーマン社会で、心を病む人々が真に助かる道を求め、道輝のみ名を頂き、真のおかげを頂いて参りましょう。