今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

いかにご祈念“一心の祈り”というものが大切であるか

大正十二年九月一日に起きた関東大震災からちょうど九十年になります。銀座教会も今年が布教九十年でありますから大変覚えやすくなっています。

湯川誠一初代親先生が、玉水教会の湯川安太郎初代大先生の東京布教の願いを受けて上京し、木挽町(こびきちょう)で布教を開始してわずか八か月目のことでした。大震災で布教所は焼失しました。やがて初代親先生は高輪で間借りをして布教を再開しますが、見渡す限り焼け野原になった東京を見て、「こんな下宿屋の片隅で東京の復興をお願いしていて役にたつのだろうか」と一時は思ったと言います。しかし、「下手な鉄砲も数撃てば当たると言うではないか、祈り続けて行けば一つぐらい神様が聞いて下さるかも知れない」と思い直して一生懸命願ったそうです。

教会の復興を願ったのではありません。“自分は「東京にいる難儀な氏子を一人でも多く助けたい」という大先生の願いを受けて上京したのだ”と決意を新たにし、東京の復興を願って行ったのです。その結果、「自分よりも他人のことを先に願え、そうすれば我のことは神様が良いようにしてくださる」という教祖様のみ教えの通り、教会も復興のおかげを頂いたのです。

大震災にも動じることなく、神様を信じて願い続けた親先生の信念の強さというのは、初代大先生の下で修業をした青年自体に培われたものでした。その姿を間近で見ていた祖母(湯川ツヤ姫)の話によると、親先生は大先生から「お前の今日のご祈念は神様に届いていない。空き家で声をからしているようなものだ」とよく叱られていたそうです。でもその一方で大先生は「空き家で声をからすようなご祈念でも、あのように一生懸命させて頂けば、ちゃんと神様は聞いてくださるのだ」とおっしゃっていたと言います。そして、ついには大先生が「他の者のご祈念は、誠一の居眠りしながらのご祈念にも及ばない」と言われるほどのご祈念力をつけていったのです。

こうしたお話から、いかにご祈念“一心の祈り”というものが大切であるかが分かります。下手な鉄砲でも良いのです。普段から私は「真の信心を」と申しておりますけれど、おそらく、私たちの信心は、神様からご覧になればまだまだ不信心者と言われるようなものでしょう。けれども、そんな信心であっても、一生懸命に願い続けていったら、神様はきっとおかげを下さるのです。

子どもが親に「何々を頂戴」と無理な願いを言うと、親は「だめ」と言ってはねつけます。それでも、毎日一生懸命に「お手伝いをするから、何々をするからお願い」と言ってきたら、親は「仕方ないなあ」と聞いてやりたくなる。それが親心というものです。

私たちは、神様にお願いをして二年三年おかげを頂けないと「お願いしても無駄だ」と勝手に願いを取り下げてしまうことがありますが、これではいけません。諦めずにおかげを頂けるまでは願いは貫いていくのです。

神様は私たちが一度お願いしたことは決してお忘れにはなりません。おかげを頂けるか頂けないか、問題は我々の願う心にあるのです。例えば神様が「駄目だ」と言われても、そのご神慮を覆してもらえるくらいの心でむかうことです。本当におかげを頂きたいと思うのであれば、やはり教会にも毎日足を運び、一生懸命お願いするのです。

信心は頭の中で考えて分かればいいというものではなく、ひたすら神様を信じて一心に生神金光大神様のお取次を頂いて願っていくということです。それを続けていくうちに、その一生懸命さを神様が受取って下さって、おかげにして下さるのです。


(「銀座だより」2013年11月号「お徳の中で~教会長先生の教話から~ 9/1月例祭」より)