湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
氏子は神を自由にする。神もまた、氏子を自由にする。
初代親先生の『湯川誠一教話抄』に、「氏子は神を自由にする。神もまた、氏子を自由にする」というお話があります。「氏子が神を自由にする」というのは、私たちが神様にお願いしておかげを頂くということで、まあ分かる気がします。私たちは困ったときにだけ都合のいいように神様を持ち出して“神様どうぞ、ああして下さい、こうして下さい”と、いわば神様を自由に使っています。
では、「神様が氏子を自由にする」とはどういうことでしょうか。私たちの身の上には時として色々な難儀なことが起こってきます。“一生懸命に信心をしているのに、なんでこんな目に遭うのだろう”と思いたくなるようなことがあります。
「神様が私たちを自由になさる」というのはそういうときのことを言われているのではないでしょうか。そして、私たちにとりましては、それをどのような心で受けて行くかが問題になってきます。
初代親先生も、東京で布教を始めて一年目の大正十二年、関東大震災に遭ったときに、「これも神様が私を自由にしなさったのかと思うと、大分大きすぎるなあ」と感じたと言います。けれども後になってみたら、関東大震災のあったおかげで、銀座の今の土地が空いて教会が建つことになりました。また、当時、言葉や生活文化の違いから、大阪の人が東京で布教をしようにもなかなか相手にされなかったところを震災に遭って、「ともに震災を経験した仲間」と認められ、東京布教がしやすくなりました。もし、関東大震災が済んでから布教をしていたら、そんな風にはならなかったでしょう。
『教話抄』には親先生の次のような言葉もあります。「良いことがあれば“おかげを頂いた”と言って喜ぶが、悪いことがあれば“信心しているのにこんなことになって”と喜ぶことが出来ないというのは、まだ本当に信心が分かっていないのである。神様の思し召しと私たちの新人の生き方に食い違いがあると言えます。本当に信心が分かったならば、よしあしを神様にお任せしておすがりすることが出来ますけれども、なかなかそこまでは行けません。」
このように、「難はみかげ」と言いますように、難儀なことが起こってくるのも、それは神様が先々のことまで考えてそうして下さっているのだと後になれば分かります。我々にはそんな先々のことまでは分かりませんから、そのときには“難儀なことだ”と思うこともありますけれども、そこでうろたえることなく、“これもおかげだ”と思って受けさせて頂くことが本当の新人であるかと思います。
また親先生は「良いことは良いことのおかげ、割ることもどのようなおかげになっていくか分かりません。大先生(湯川安太郎玉水教会初代大先生)が“おかげを頂くまでは不足を言うな。おかげを頂いてから不足を言え”と教えられました。そのようにおあkげの内容を理解していくことが大切です」ともおっしゃっています。私たちは、「氏子が神を自由にする信心」は出来ましても、「神様に自由にされていく」という信心はなかなか出来ていないように思います。何十年信心をしておりましても、病気だとか経済的な問題だとか人間関係のごたごただとか、自分に都合の悪いことが起こると、つい心配や不平不足の気持ちがわいてきます。けれども、そこで神様の深い思し召しがあることを考えなくてはいけません。
「おかげを頂いてから不足を言え」これは厳しい教えではありますが、私たちが信心させて頂いている神様は、この天地を自由にしておられる親神様です。
“揺るぐことなく、どこまでも信じ、よしあしを神様にお任せしておすがりしていく”という信心をさせて頂きたいものです。
(「銀座だより」2013年10月号「お徳の中で~教会長先生の教話から~ 7/25月例祭」より)









