今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

初代・二代親先生、初代親奥様例年祭を迎えて

八月一日の例年祭を仕えさせていただくようになって七年になります。二代親先生がお国替えされて引き継ぐことになった教会の様々なご用も、少しずつ余裕のようなものも生まれてくる頃なのでしょうが、むしろご用のあり方について改めて考えてみる思いが生まれてきました。

この銀座教会のお広前が生まれたのは、今までに何度も話してきたように、湯川安太郎玉水教会初代大先生の“東京にも難儀な人が大勢おられる、その人たちを何とか助けたい”という願いを受けて、湯川誠一先生が“大先生に成り代って”東京に布教されたのが始まりです。

この初代大先生の願いは“人を助けたい”という教祖様の願いでもあるのです。その初代大先生の願いを“大先生に成り代って”という思いで一生貫かれた湯川誠一銀座教会初代親先生は、銀座教会にとっては初代ですが、その信心の上から言いますと二代目だと言えます。今でもご本部へお供えするときの名簿は銀座教会、湯川安太郎、湯川誠一、湯川信直、湯川浩一、の順で書き進められてゆきます。ですから私は四代目に当たるのです。

“人を助けたい”という教祖様からの願いや“人を思うこと人後に落ちず”という初代大先生の思いを受けて生まれてきたこのお広前での、私のご用のあり方を改めて考えてみなければいけないと思うようになってきたのです。それも自分でするのではなく、“成り代って”させて頂くということは、どのようにさせて頂くことなのか。

来年は初代大先生の七十年祭を迎えますが、その七十年の中味は、二代大先生、三代大先生、現大先生のご信心とご用があって、今でも初代大先生のお徳が輝き続けているのです。お広前のご用は、親教会も出社も変わりはないはずです。でも私には力がありません。お願いしながら出来ることからさせて頂くほかありません。当然のことに、私の夜のご祈念は何時に終わるか分かりません。ですから初めのころは朝のご用が厳しくて、寝る時間がないときはどは、つい甘えが出そうになったのですが、自分がするのではなく“成り代って”させて頂く大事なお広前のご用であれば、自分のことではない責任感というか緊張感が生まれてきます。改めて日々にその思いでお願いしながら麻野ご祈念をさせて頂きお結界に座らせてもらうことにしています。

この四月から、せがれの和夫が幼稚園に入園することになりました。そのためには毎日早寝早起きをして、幼稚園に行く前にはお結界にお届けをして行くことになります。

この、お結界にお届けをして行くことは、私の姉が幼稚園に入園するときに、初代親先生が母に「そうしたらどうや」と言われたのです。「そうしなさい」とは言われません。でも母はそれを受けて姉から始めたのです。私も姉たちと同じようにして行きました。今度は和夫がそれをしていく番です。

幼稚園に行く時間になってお広前にきても、最初の頃は母親に甘えてぐずっているときもありましたが、最近は信者さんがお届けをされていても気後れすることなく、横に立って「行ってきます」と大きな声でお届けをして行くようになりました。その姿を見ていますと、初代親先生も、二代親先生も知らない和夫ですが、しっかりと教えが伝わり、世代を超えてつながっていることに気付かされました。

あと二年しますと初代親先生の四十年の年柄を迎えます。四十年もたちますと先生を知らない方が増えてきます。先生の信心が伝わるのは、教話を読んで分かったというだけではなく、生活の上で実際に行ってみて身につけていくことが大切なのだと改めて思わされました。


(「銀座だより」2013年8月号「初代・二代親先生、初代親奥様例年祭を迎えて」より)