湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
何でも信心を自分のものに
このお広前では毎日、信話集(湯川安太郎 玉水教会 初代大先生の教話集)を読ませて頂いています。第十二集の中に「何でも信心を自分のものに」というお話があります。私たちは、信心をして教会にお参りし、神様にいろいろなことをお願いしています。
でも、何か心配事が出来てきますと、心配が先にたって、「どうしてこのようなことが…」とか「本当におかげが頂けるのだろうか」とか、いろいろな思いが出てきます。これでは信心をしていると言っても、どこまでも神様を信じて一心にお願いしておかげを頂く信心になっているのかあやしいところがあります。「信心を自分のものに」とはどういうことなのでしょう。
初代大先生は「分かっているというだけではだめなのだ。本当に分かるというのは、カラダで書いていかなければ本当に分かったことにはならないのだ」と教えて下さっています。カラダで書いていくということは、日々の生活の中で実際に体験していくことなのです。
私も先日一つ体験させられました。銀座教会には、ボーイスカウトの団が、もう六十年以上も活動しています。それには毎年登録審査を受けて合格してから登録を継続するシステムになっているのです。今はコンピューター化されていて、隊長さんたちがして下さっていたのですが、今年はどうしても私がしなければいけなくなりました。
いざしてみると、次々とお取次ぎのご用があってなかなか時間が取れず、それに慣れていないせいもあって大変でした。とうとうご祈念の後に、徹夜をして仕上げることになってしまいました。そして書類を届けに行きますと、「数字が違っていて合わないから不合格です」と言われました。今まではコンピューターで自動的に出来ていたところが、今年はソフトが未完成で、手動で入力しなければいけなかったのです。そのことをメールで問い合わせると、そのまま持ってきて下さいということだったのですが「だめです。しゅうせいして下さい」。私も信心をさせて頂いていますので「そうですか。私が取り違えたのかもしれませんから、出直してきます」と言って帰ろうとしますと、別の人が私を呼びとめて「ほかにも不備があります。連盟には規則がありますから、これでは通りませんよ」と言われました。
スカウト活動はめいめいが違う社会生活を持ちながら活動して成り立っているのですから、どうしても規則通り出来ないことも出来てきます。そのときは丁寧に了解を取ってきたのです。それをわざわざ呼びとめて規則だけで注意されたので、私も平静さを失いかけました。お願いして修正し、これでもだめなら、こちらにも言い分がある。場合によっては退団や休団も辞さない覚悟を持って再提出をしに行きました。その日は大勢の人が待っていたのですが、二度目のせいか順番を待たずに受け付けてくれて、修正箇所と登録費の確認をして済んでしまいました。そのとき自分の思いが違っていたことに気付かされました。
自分の思い通りにならなかったり、何かを言われたりして、あれこれ思って判断していることは自分の都合で、信心ではありません。それに今までこの手続きをして下さっていたことの有り難さや、神様にそのことのお礼やお願いが足りなかったことを教えられました。ホッとしたところに次の問題が出てきましたが、そのときは、何でも受けて、信心でおかげを受けていく心が決まっていましたから、すっと受けることができました。
神様は昼夜兼行で、私たちのすべてのことを整えて下さっているのです。それを有り難いと思うことが、信心には大切なことなのです。
(2/25月例祭 「銀座だより」2013年5月号「お徳の中で」より)









