今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

毎月二十五日の平和祈願祭に込められた願い

今日は今年最初の平和祈願祭を仕えさせて頂きました。以前は復興祈願祭として仕えられていました。いつから平和祈願祭になったのかと言いますと、昭和六十年にこのお広前が新築されて、七月二十五日に遷座祭が奉行され八月一日に湯川誠一初代親先生の十年祭が仕えられたのですが、その月の二十五日の月例祭から平和祈願祭として仕えられるようになりました。

この二十五日という日は、戦災で銀座教会が焼失した日なのです。それから初代親先生は、ご神前に日本地図を置いて日本の復興を祈念され、二十五日を復興祈願祭として仕えてこられたのです。

やがて日本も復興し、銀座教会も新築されましたので、湯川信直二代親先生は世界の平和を祈願する平和祈願祭として仕えられたのです。今日はこのお祭りに込められた願いについて話をさせて頂こうと思います。

もともとこの銀座にお広前ができたのは、大正九年に明治神宮が造営されたときに、湯川安太郎玉水教会初代大先生が上京されて東京の街をご覧になって「東京にも難儀な氏子がたくさんおられる。その人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という願いを持たれたことが始まりで、東京で布教するということはやはりいろいろと難しい事情がありまして、初代大先生がいつまでも自分の側に置いておくつもりであった、一の弟子の湯川誠一親先生が東京で布教することになったのです。

大正十二年の一月に布教所が開設されるのですが、その年の九月に関東大震災に遭って東京は焼け野原となり、布教所も消失してしまいます。その後間借りをしながら、先生は東京の復興を願っていかれます。やがて焼けてしまった銀座の今の場所に小教会所を開設することになるのです。

先生は「東京の復興を願っていると、神様がその願いをするところを与えてくださった」と話しておられます。「難儀な氏子を一人でも多く助けさせて頂きたい」という初代大先生の願いをひたすら受けての願いは、『世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ』と教祖様に頼まれた、天地の神様の願い、ご悲願と重なってきます。そして最初四十四坪であった銀座教会の敷地も、やがて百三十坪にまで広がっていくのですが、戦災でまた焼失してしまいます。それから先生は、先ほど話しましたように、日本の復興を願っていかれるのです。その信心を神様が受取って下さって今の銀座教会が出来たのだと、二代親先生は今のお広前が新築されたときに話して下さっています。

私たちが日々にしている信心は、つい目先のことばかりにとらわれて、神様が願って下さっている信心になかなかなってきません。

難儀な氏子である私たちが、仕合わせな氏子に運命を切り替えて頂くためには、天地を揺り動かすような信心をしなければなりません。

今私たちが頂いている平和祈願祭には、神様の願いを願いとした初代大先生、初代親先生、二代親先生の願いが込められているのです。その願いを神様が受けて下さってこのお広前があるのです。

そのことを改めてしっかりと頂きなおして、神様の願い成就のお役に立たせて頂きたいという願いを持つことが大切で、その信心を進めていって、初代大先生、初代親先生、二代親先生に喜んで頂けるおかげを頂いていくことが、神様に安心して頂ける信心になるのです。

これが真の信心の中味になっていくのではないかと思いますし、末々安心の真のおかげを頂くことになっていくのだと思います。

(1/25月例祭 「銀座だより」2013年4月号「お徳の中で」より)