湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
お取次を頂く心を見直し、真(まこと)のおかげを
~布教90年を出発点に信心の展開を~
おかげを頂いて、平成二十五年の新春をお迎えでき、誠に有り難いことです。
まず今日なお復興努力が続けられている一昨年三月に発生した東日本大震災で被災された被災者の立ち行きとみ霊様の助かりを記念させていただきたいと存じます。
また、この三年間、私どもは信心生活を進め、省み、改まる実践に勤めて参りました。その土台の上に向こう三年間、当教会にとっては、まず本年一月二十日の布教祈念祭、明年の湯川安太郎初代大先生七十年、湯川ツヤ姫二十年、そして再来年の湯川誠一初代親先生四十年と大切な式年のみ祭りが続く大切な節年をお迎えすることになります。
さらに全教的にも教祖様の本年十月の百三十年祭、三大金光様五十年という意義深いお年柄をお迎えすることになります。特に初代大先生は、奉公先の倒産に際して身の振り方をお伺いされた祭、三大金光様の「小売りをせよ」とのお言葉を頂き、後にそのお取次によって布教されることになったのです。ですから私どもは深い御礼の心をもってお年柄をお迎えしたいと思います。
お結界でご用させて頂いておりますと勿論お取次を頂く場合、思う通りに願って差し支えないのですが、お取次を頂く方の受物が大切だと思うことがあります。それに関して先の三大金光様のお取次はご神意に叶わないとご返事が頂けないという厳しい場面があったということをお聞きしたことがあります。お届けしてもご神米が下がらず、恐かったという事実もあるのです。お取次を頂く心を見透かされる厳しい恐さです。こうした緊張感をもってお取次の大切な点を頂くという姿勢が今日欠如していることはないかと思うのです。いい加減な心でお取次を頂くようであってはならないと思います。
教祖伝には金神様は、祟り障りする神様と恐れられていたとありますが、私たちが頂いている神様は、道理に合わないことまで聞いて下さることはないと思うのです。これは親子の関係で考えてみると合点がいくと思うのです。放置しておけば可愛い子供がけがしたり、重大な災難に遭うと分かれば、可愛いが故に厳しく叱るでしょう。私も幼い頃、普段この上もなく優しかった父湯川信直二代親先生から高い所で遊んでいたとき、厳しく叱られた思い出があります。いわゆる雷を落とすのもわが子が可愛いが故という真の親子関係ですね。神様は可愛い氏子である人間がその真意を理解して信心の成長を願っておられるという真の神と人との関係を分かるkとおが大切だと思うのです。
■お取次を頂く「心」を磨く
お取次を頂いた際に、その結果を素直に受ける心の受物が大切です。先生のご理解を自己流に都合よく解釈しがちな信心に陥らず、自分が正しいという「我」に心が曇らされないことが大切です。したがってその心を磨くこと、『信心は本心の玉を磨くこと』ともみ教え下されています。ままよと素直に受ける心を養う―三大金光様の「小売りをせよ」とのお言葉を素直に受けられた初代大先生の心、“信心の目的”にある『清らかな心』が大切です。それにより一つひとつの改まりが出来、大きなおかげになっていくのです。
信心は“自分自身を知る”ことが大切です。自分の経験・体験で分かったつもりになったり、自分勝手な理想を作るのでも、“わが腕を拝む”のでもなく、畏れをもって神様におすがりしていくことが大切です。ご主人は神様―今年から三ヵ年の節年を期に、共々に改めてお取次を頂く心を磨く大切な心行をさせて頂きましょう。
(「銀座だより」2013年1月号「布教90年を出発点に」より)









