湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
金光教東日本大震災一年祭に参拝して
三月十七日に気仙沼で執り行われた金光教東日本大震災一年祭に参拝させて頂きました。東北新幹線で一関まで行き、そこからレンタカーで気仙沼まで行きました。
一関は岩手県で気仙沼は宮城県です。単線の線路を車両一両だけで走っている鉄道を真横に見るようなのどかな田舎道を走りながら、幾つかの町を通って行ったのですが、海岸から離れているからか、大震災の影響はほとんど見えませんでした。ところが、気仙沼に着き海岸線近くに出たとたん、状況が一変しました。
先ず気仙沼教会に行くことにしました。教会の前が急な坂になっていて、教会は坂の上に建っていますので、津波で浸水することはなかったのです。(中略)
参拝した後すぐに会場である気仙沼プラザホテルに向かいました。ホテルは湾の入り江の高台にぽつんと建っていました。会場は結婚式などをする大きなホールでしたが、始まる頃には後ろには立っている人がいるほどの大勢の人が参拝していました。祭典は三部構成になっていて、第一部は被災された三人の体験発表がありました。
最初は気仙沼教会の信徒の方で、ホテルを経営しておられて、津波のときは泊まっているお客さんと従業員と一緒にホテルの屋上に避難された。津波で電気が消え、食料も流され、雪の降る寒い中を皆で暖め合いながら一夜を過ごし、米軍のヘリコプターで救助されたと話されました。
二人目の方は仙台教会の信徒の方で、電報を配達した先で震災に遭い、そこの家族と一緒に裏の高台に逃げた。最初の津波は六メートルだったので、高台に逃げた人の中には一度家に戻るという人たちがいて、皆の制止を聞かずに帰った人たちは、次の二十八メートルの津波に流されてしまった。寒い中を皆で励まし合いながら三日後にヘリコプターで救助されたそうです。その人は電報配達に出ていて助かりましたが、局に残っていた同僚は流されてしまったと、涙ながらに話されていました。
三人目は福島県のある教会の方で、原発事故で避難し、放射能の子どもへの影響を心配しながら、いつになれば安心できるのか分からない避難生活を話されました。
(中略)
運命としか言いようのないような、ちょっとした違いで、助かった人と亡くなった人に分かれてしまいます。たとえそういう運命であっても、信心すれば運命を変えて頂くことができると教えられています。助かった方のこれからの立ち行きと、亡くなられた御霊神様の立ち行きを、私たちが信心してお取次ぎを頂いて祈っていかなければなりません。
その信心の中身はといいますと、私たちが改まっていくことが大切なのです。自分本位、人間中心のあり方から、天地の神様の思し召しに添った生き方に改まっていくことなのです。(後略)
(「銀座だより」6月号 「お徳の中で」より)









