今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

子犬を通して教えられた“メグリ”の話

このところご祈念の後に朗読させて頂いている信話集(湯川安太郎玉水教会初代大先生の教話集)第八集には“メグリ”についての話が出てきます。信心をしていますと、“先祖のメグリ”という言葉をよく聞きます。でもこれは私たちにとってはよく分からないことです。私自信もこのことについては、あまり話をしてきませんでしたが、三月は霊祭月なので少し話をしてみたいと思います。

今朗読しているところには、大先生がまだ信者時代にどうしても信じられなかった“メグリ”を、子犬を通して教えられた話が出てきます。

少し長い話なので要約しますと、大先生がまだ商売をしておられたころ、仕事先からもらって帰られた白い毛まりに目鼻を付けたような子犬を、信心仲間の友人がもらい受けて帰ります。ところがその子犬が人間の大人の倍ほど食べてもまだ欲しがるので大先生のところへ相談にこられた。そこで『犬猫も家族と同様じゃ』というみ教えに沿って子犬のことをお願いし食べ代もお願いされるとすぐに普通の子犬が食べる量になった。これで子犬のことも神さまにお願いすれば聞いて下さることが分かりました。

そのうちその子犬が車(当時は多分荷車)にひかれたのか前足をけがした。大先生も友人も友人の家内も神様に早く治して頂くようにとお願いしていると、その家内がご祈念中に『犬のことをやいのやいのと願うけれども、そうは急にはいかんのじゃ。あの犬の親の親は、非常に人をかぶった犬であるから、その罪を持って生まれてきておる。時を待て。おかげを頂かせてやる』という声をはっきりと聞きます。

やがてけがをした足が内側に曲がってきたばかりではなく、前足のけがをしなかったほうも曲がってしまいます。ずっとお願いしておられましたがなかなか治りません。そのうちに足の自由が利かないせいか、今度は尻尾を車にひかれて骨まで見えるようなけがをします。それでもお願いしていますと、一週間目に最初にけがをした前足が真っ直ぐに伸びて自由になり、二週間目にはもう一方の足も伸びて、三週間目には尻尾の傷もきれいに治ってしまった。

すると友人がその子犬を連れて大先生に文句を言いにきた。「見てやってくれ、こんなにきれいに治った。君は、メグリの話になると“そんなものがあるか”と反対してきたが、この犬はそのメグリで前後五ヶ月も苦労をしておかげを受けた。こんな動物にまでメグリがあるとすると、これまで何をしてきたか分からん人間には、いよいよメグリがあると思われてならん。それを神様が見せて下さったのと違うか」という友人の言葉に大先生は、「そのとおり、たしかに、教えて下さったのだ」と答えておられます。

罪メグリといえば、親先祖のものばかりではありません。私たちの生活の中で積み重ねているものもたくさんあるのです。その中でも“わがまま勝手”が一番いけないと教えて下さっています。

私たちは、日々神様の思し召しに沿わないわがまま勝手を、いつ、どこで、どれほどしているか分かりません。でもそれをお詫びし、改まっていく信心によって取り払って下さり、その信心によって、あの世へも持っていかれ、子孫にまでも残る“徳”を頂くことが出来ると教えられているのです。改まるということは、自分勝手な生き方を神様の思し召しに沿った生き方に改まっていくのです。

私たちはだれでもうまれたときから親によく似ています。そのようにメグリもついてまわるのでしょうが、それを苦にするのではなくて、“メグリ”を“徳”に替えて下さる“信心”に骨折っていくことが大切なのです。


(「銀座だより」5月号 「お徳の中で」より)