湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
初代、二代親先生例年祭 湯川ツヤ姫30年祭を迎えて 銀座だより8月号
今年は祖母(初代親奥様湯川ツヤ姫)の三十年祭を仕えさせて頂き、来年は祖父(初代親先生湯川誠一大人)の五十年祭を迎えます。 祖母は三十年前の七月三日早朝、家族に見守られて安らかにお国替えになりました。九十五歳と十一カ月のご生涯の信心を振り返って見たいと思います。 祖母は玉水教会初代大先生(湯川安太郎師)の長女としてお生まれになり、幼いときから厳しく信心を導かれ、大正四年に祖父と結婚、大正八年金光教教師に補任され、大正十一年に上京、祖父と共に東京布教に専念されました。また、関東大震災と戦災において二度も教会が焼失するという経験もされました。 家庭においては、玉水教会三代大先生と父(二代親先生)を小学校時代から預かり、母親代わりをされました。また、次々と学生や修業生を託され、「その人の親大事、その人自身のために十二分にお 世話させて頂いて、六分に喜んでもらえればよい」というお心で養育されました。 私にとって祖母は、本当にやさしく、一緒にいると安心できる、大好きなおばあちゃんでした。私が中学生の時、祖母と一緒に春休みに軽井沢へ行ったことがあります。雪が積もり、きれいな雪景色でした。ホテルの部屋のドアを開けるたびに静電気が起きて家族が痛がる中、祖母だけは平気でした。なぜなら絹の着物を着られていたからで、代わって開けてもらったのを覚えています。 後で「奥様は着物を大切にされるので、着物が喜んで集まってくるんですよ。本当にそうでした」と聞かされました。初代大先生の「物を大切にすると物に恵まれ、人を大切にすると人に恵まれ、すべてを大切にするとすべてに恵まれる」というみ教えを、祖母は実際に生活で実践されていたと思います。 祖母は、多くの学生や修業生を養育されて、時には注意をしなくてはならない時がありました。「注意しても本人がそれを聞いてくれなければ何にもならないし、本人が分からないのでは困る。本人が聞いてくれる時期と心を与えてもらわないと」と、三年間ご祈念してから注意した人もあったそうです。 「お神酒さんも自分が吹くのではない。(先生に成り代って頂かせますからおかげをください)とお願いして、吹くときは御礼申して無念無想で吹くのです」 このような話を聞かせて頂くと、私らには真似のできない悟られたお徳の高い方のように思われますが、神様は「わが力ですると思うな」と教えられています。何事も「させて頂く」思いになることがその一歩かと思います。私も信心生活の上で実践させてもらっています。 初代大先生の信話集を読み続けてきて、今年のお年柄に思うことは、祖母は実は心配性だったように思います。ご自身のことをよく分かっていて、足らないから神様に足して頂くという思いをもって、いつも長いご祈念をされていたのだと、気付かせて頂きました。初代大先生が九割を足して頂いているとおっしゃったのを、祖母はそのままご自分でも実践されて、その結果、心配はするけれども神様にお願いすれば大丈夫となり、いざというときは何ごとにも動じない信念で乗り越えられたのではないでしょうか。そのようなところは玉水教会初代大奥様に似ていられるのかもしれません。 私たちも自分の信心を見直し、見直しして、自分中心の信心から神様の思し召しに沿った信心へ、神様に足して頂く信心へと生活の上で実践させて頂きたいと思います。 来年は初代親先生の五十年祭、再来年の五月は二代親先生の二十年祭を迎えます。喜んで安心して頂けるよう信心を進めさせてもらいましょう。