湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
お徳の中で 教会長 銀座だより10月号
『生神金光大神 天地金乃神 一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい』 この天地書付は繰り返して唱えます。奉体と言い、神前拝詞などは奉唱と言います。何故繰り返すかというと、普段の生活で繰り返し実践して体で覚えていきなさいというみ教えです。 初代大先生(玉水教会初代教会長湯川安太郎師)は次のようにおっしゃっています。「もう到底ダメか。どうしよう。こんな思いで打ち込んだ願いができますか。そんな祈りではとても助からない。出来ても出来なくてもおかげを蒙らして頂かねばならぬ―という一心で祈るのです。が、そこまではいっぺんには行けません。毎日その稽古をするのです。お参りして一心になる稽古をするのです。これはなんぼ信心の本を読んでも話を聞いても、実地にその稽古を積まん事には出来ません。」「赤ん坊は乳を飲むときには全力を注いでおるように、私共もおかげを蒙る上についても、その努力が必要であって、その努力、それを「今月今日で一心に頼め」と仰せられるのでございます。(信話集第十六集、第二章 何事にも動ぜぬ固い信念で) 教祖様は「一心になればおかげ頂けます」とみ教え下さいました。「一心」というのは一つの心ですから、神様以外は心を向けないことです。大先生は「それが二心にも三心にもなるからおかげを落とすんだ」と言われています。 初代親奥様(湯川ツヤ姫)はご霊殿の前で長いご祈念をなさいました。私は小さい頃お広前で祖母の周りを駆け回りましたが祖母は全く気にせず、すうっと神様、大先生と会話をしているようでした。孫の私が入っていけない世界、そういうご祈念をなさっていました。 ご祈念は大事です。私たちの心は神様から分けて頂いた心ですから、神様に通じるのです。ご祈念について大先生は「一つには願いごとをお願いするのであります。二つには信念というものを固めるためであります」と教えて下さっています。 どうぞ改まり、信心が出来ますようにと毎日ご祈念していると、心は神様に向かっているか、と気づかせて頂けます。自分は心配を土台に信心していた、今度はお礼を土台にお願いしてみよう、それでこんなおかげになって来た、と分かって来るのです。それが信心の努力です。 私たちはやっぱりおかげ頂きたいです。神様が「信心が出来てない時はおかげはやらん」と言われたら困りますが、初心者や子供が「神様助けて下さい」と願えば神様はちゃんと聞いて下さいます。習字でも最初は下手でも先生は花マルをくれますが、進んで来ると、間違えたところをオレンジの筆で書き直されます。ハネてはいけない所が分かって改めて直すから、きれいな字になっていきます。 『信心も手習いも同じこと、一段一段進んでいくのじゃ』と教祖様がおっしゃっています。自分から求めていく人と、そうでない人とはだんだんと差が出てきます。「おかげは、神様は平等に下されています。努力した人には努力したおかげ。怠けた人には怠けたおかげ」と大先生はおっしゃっています。厳しいですね。 大先生の言われる「信心の努力と稽古」を重ねる。難しそうに見えますが、難しい事ではありません。普段から改まり、信心を求めて、一生懸命ご祈念することが大事です。 そして信念というものを作らせて頂く。時間がかかりますが、これが出来てきたら何があってもどんな場所でもおかげ頂けます。何事にも動じない信念で安心という道をつけて頂くことが出来ますから、日に日に進ませてもらって、お礼とお詫びと改まりで、信念を固めさせて頂きましょう。