今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより12月号

 秋はご本部で生神金光大神大祭が仕えられます。湯川信直二代親先生のおそらく初めての祭典後の教話が「天地に生かされて」第二集に収められています。
 要約しますと「この教祖大祭は、教祖様が生前から仕えられていた生神金光大神祭日のお日柄のお祭りなのです。いつもこうしてご霊地にお引き寄せを頂き金光様のお取次ぎを頂いたあと教祖様の奥津城へ参拝させて頂くのですが、父(湯川誠一初代親先生)は教祖様の奥津城でご祈念した後、振り返ってまた拝礼していました。わけを尋ねますと「この方向には教祖様のご生家があって、そこにお祀りされている教祖様のご両親にお礼を申し上げているのである」と話してくれました。
 その始まりは父の師匠である湯川安太郎玉水教会初代大先生のお供をして参拝していたころに、初代大先生がしておられたのです。初代大先生は幼いころから随分苦労をされて、商売をされるようになってからも、どうにもならないほど行き詰まられたところを、信心と家業は一つであることを分かられて助けられたのです。やがて金光教の教師にお取立ていただき大勢の信者さんが助けられることになったのです。その喜びの現われがご生家への遥拝だったのです。
 そして初代大先生が初めて上京された折に「東京にも難儀をしている人が大勢おられる。その人たちを一人でも多く助けさせていただきたい」との願いを持たれ、その願いを受けて一の弟子であった湯川誠一初代親先生が師匠に成り代わって東京に布教されたのです。ですが、その年に関東大震災が起こって布教所は焼失してしまいます。でも翌年には銀座小教会所が生まれます。その教会も戦災でまた焼失してしまいますが、翌年には復興し土一升金一升と言われる銀座で敷地も広がり現在の銀座教会になっているのです。
 その元は教祖様がご信心をされて、天地の親神様のおかげを頂く道をつけて下さったからで、その信心で初代大先生も初代親先生も助けられた喜びにあふれたお礼を教祖様の奥津城でされていたのです。『心に喜びをもって信心すれば、天地の親神様の喜び中に生かされ、神様はそれを喜んでくださる』と教えられ、その喜びの中に生かされていくのです。そのことを世間の人にも伝えさせてもらい、一層にその信心を進めさせていただきたい」と話しておられます。
 初代大先生が信心によって助けられ、その信心が初代親先生、二代親先生と受け継がれ、私たちが助けられて銀座教会布教百年のお年柄を迎えている喜びをもって教祖大祭を迎えることが大切です。
 私たちは目先に難儀なことがあると、なかなか喜べません。でもその難儀なことをお願いするところがあって、おかげを頂いていく道がついています。一人ひとり信心をしている事情は違いますが、おかげを頂いていく道筋をたどっていくと、教祖様がご信心をされておかげを頂く道をつけて下さったからなのです。そのことを改めて心に頂いてお礼を申し上げるのが教祖生神金光大神大祭なのです。
 ご本部に参拝しますと、私たちはお願いが先になりお礼は後になります。これは順序が逆で、日々生かされて参拝が出来ているからお願いができるのです。
 お礼も難儀なことのおかげを頂くと、そのお礼が先になります。このお礼も大切ですが、日々天地の恵みを頂いて生かされている根本のお礼が先なのです。
 お礼の中身は喜びです。心に喜びをもってそれをどう現していくかが問題です。
 この心の喜びを教祖様も天地の親神様も喜んでくださって『喜び喜んで喜びのおかげ』の中で生かされることができるのです。