今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより07月号

 湯川信直二代親先生は「〈神様はもう一人の親〉と聞かされています。実の親には言いにくいことも、神様ならお願いしやすいということはありがたいことです」と教話抄「まなざし」の中で教えて下さっています。
 神様は私たちとは離れた遠い存在で、手の届かないところにおられるように思いがちですが、実は私たちと一緒におられるもう一人の親なのです。
 私たちの暮らしの中では、いろいろ問題が起こってきます。その問題を自分で抱え込んでしまうから難儀が生まれてくるのです。自分で何とかしようと思わないで、もう一人の親である神様にお願いしていけば聞き届けて助けて下さるのです。そういう神様であることを教えて下さったのが教祖様で、そのお取次ぎを頂いていくところが教会なのです。
 お願いすれば、教祖生神金光大神様と天地金乃神様は一つになって働いて下さるのです。
 ギックリ腰になったことがありました。話には聞いておりましたが実際になってみると、寝返りをしたりベッドから起き上がったりするのも大変で、顔や手も洗えないのです。日頃当たり前のように出来ていることが出来なくなるといかに大変かということを教えられた思いがしましたが、翌日には広島の御幸教会のお祭りがあって行かなければなりませんでした。どうしようと思ったときに、以前聞いたことがある話を思い出しました。
 玉水教会の祭典に参列されることになっていた出社の先生が、一週間前に腰痛が起こって、ご迷惑をおかけしてはいけないと思って電話をされました。そうしますと二代親先生から「一週間もあるのにどうしてその間におかげを頂く気にならないのか」と言われたという話を思い出しました。気を取り直して神様にお願いしました。
 そうしますと整体師をしておられる信者さんがすぐに来てくださって手当をして下さり、少し楽になってきてその晩はスーッと寝ることが出来ました。翌日には何とか飛行機で広島へ行くことが出来ました。教会に着くと教会のすぐ近くの鍼灸師さんが針治療をして下さって、無事祭典を仕えることが出来ました。
 そのとき玉水教会初代大先生の「わが力で出来ないということを分かることが一番のおかげである」というみ教えを思い出しました。
 二代親先生の教話抄「まなざし」の中に「私たちは体内のすべての器官の働きが微妙なバランスを保ち続けているから生きていられるのです。そこに神様を感じるか感じないか、それげ大切なのです」とあります。
 教祖様は『痛いのが治ったのがありがたいのではない。いつもまめなのがありがたいのぞ』と教えて下さっています。
 神様は私たちの体ばかりでなく「心を分けて下さった神様」とも教えられています。ですから私たちが神様と通じるのは心なのです。
 でも私たちの心は「心コロコロ」といってなかなか定まりません。話を聞いて分かったように思っても、すぐに不安や心配が心をよぎります。「愚痴不足、勝手勘定、取り越し苦労はおかげの断り」と教えられていますし、「思うことが祈りになる」とも教えられています。神様はすべてお見通しなのです。
 信心するということは、自分の都合中心の生き方から、神様の思し召しに添う生き方になっていくことなのです。
 「改まり」とか「信心のけいこ」と言われるのは、自分の都合中心の心が神様の思し召しに添った心になることなのです。そしてしっかりと心が決まると、必ずおかげが頂けるのです。