今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより10月号

 来年には湯川ツヤ初代親奥様の三十年祭のお年柄を迎えます。「初代親奥様五十日祭を迎えて」という湯川信直二代親先生のお話があります。要約しますと「母(初代親奥様)は湯川安太郎玉水教会初代大先生がまだ商売をしておられたころ長男を亡くされたとき、すぐに次の子をと神様に願われて授かったと言われています。やがて商売をやめて布教の御用をされることになったとき母は満六歳でした。そして、一切を神様にお任せしての布教という初代大先生の信心の中で育てられました。お米がなくなった時には、神様から頂くまでお米を食べなかったと言われています。成長して、初代大先生の一の弟子であった誠一先生と結婚し、初代大先生の東京布教の願いを受けて、大先生に成り代わって夫婦で東京に布教することになったのです。
 ところが布教した年に関東大震災に遭い布教所は焼失してしまいます。震災後、あちこちと間借りなどしながら借金をして銀座にお広前を建設しようとしているときに、大先生は学生を差し向けられて学費、生活一切の世話をするようにと言われます。夫妻はそれを何も言わずに受けていかれました。日常のこまごました世話をするのは母です。
 それ以後も教会には何人もの書生がいました。母はその一人ひとりの立ち行き、助かりを一心に願いながら世話をしていきました。ですから何か問題ができて母に相談すると、一生忘れることのできないアドバイスが返ってきたのです。
 関東大震災と戦災で二度も教会が焼失するという状況の中で、動じることなく、夫である初代親先生とともに、初代大先生から受け継いだ信心を進めていったのです」
 こういう話をすると大変なのですが日常の祖母(初代親奥様)はそのような大変さを全く見せませんでした。孫である私から見ると優しい祖母でした。でも神様に向かう信心は微動だにしませんでした。いろいろ苦労があっても、すべて神様の思し召しの中でのことなので、苦労も自分でするのではなく、一心にお願いしてさせて頂くことで神様のおかげを頂くことができるのです。
 私が祖母の手を引いて歩くときも祖母は私に全幅の信頼を置いて任せて歩きますので私も神様にお願いして歩きます。
 祖母にとっては嫁である母に対しても全幅の信頼を置いて相談し、母の言ったことに従っていきます。ですから母も神様にお願いして祖母の話を聞くことになります。こうして信心が継承されていきました。
 書生をおくのも、自分が忙しいから書生をおくのではなく書生のために書生をおくので、お米がどれくらいいるとか、お小遣いがどれくらいいるとか自分で計算しないで、すべて神様にお願いしていけば神様が調えてくださるのです。自分で勘定するのではなくて神様に勘定して頂くのです。
 でもいきなりそのような信心が出来るかというとなかなか出来ません。
 祖母は「親の真似をしていると、神様はちゃんと道をつけてくださる」と言っていました。初めのうちはよく分からなくて形の真似を繰り返し、繰り返ししているうちにだんだんと心の真似も出来るようになってくるのです。
 お話を聞いて自分の出来るところから真似をさせてもらっていくことが大切なのです。自分には出来ないと思ってしまうことは、おかげのお断りをしていることになるのです。
「出来ん、出来んが重なって出来るようになってくる」と初代大先生は教えて下さっています。
 遠回りをしているようですが、これが一番近道なのです。