今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより09月号

 銀座教会は関東大震災と戦災で二度焼失しています。湯川誠一初代親先生は自分のことより、関東大震災の後には東京の復興を、戦災の後には日本の復興を祈っていかれました。その信心を湯川信直2代親先生が受け継がれて今の銀座教会があり、今年は布教百年のお年柄を迎えることができました。  『信心は心が神に向かうこと』と教えられていますが、平穏な時は心が神様に向かっているつもりでも、難儀に出会うと心は「どうして。どうしよう」と動揺してしまいます。初代親先生の信心は、関東大震災の後も戦災の後も微動だにしなかったのです。私たちは改めてこの信心を日日の生活の上に頂いていかなければなりません。  2代親先生の教話抄「まなざし」の中に「神様はもう一人の親と聞かされています。実の親には言いにくいことでも神様ならお願いしやすいということはありがたいことです。」と教えてくださっています。私たちの暮らしの中や人間関係などでは、実の親にも言いにくいことが出てきます。そのようことでも神様にお願いすれば聞いてくださるということはありがたいことです。  実の親にも言いにくいことを自分で抱え込んでしまわないで神様にお願いすれば聞いてくださるのです。私たちを生み育て生かし続けてくださっているもう一人の親様がおられるということは本当にありがたいことです。  この天地そのものが神様であり、私たちはその天地の子供なのですから、天地の子供として恥ずかしくない生き方をさせていただかなければなりません。  話を聞いて頭ではわかっているつもりでいても、難儀に出会うと心が乱れて自分勝手に心配してしまいます。  湯川安太郎初代大先生は「金光教の根本の教えである天地の御恩、私たちはすべてのことを天地に生かされているということ分かっていないからだ」と教えてくださっています。このことを本当に分かれば、この天地をもう一人の親様と頂いていけるのです。  私たちは成長して知恵分別が身についてくると、何事も自分でしようと「勝手勘定、取り越し苦労」をするようになり、神様にすがっていく信心が出来なくなっていくのです。子供は子供らしく素直に親にお願いしていけばいいのです。  「神様に願いの伝票を入れる」と初代大先生は教えてくださっています。私たちは神様にお願いしても直ぐに「どうかしら」と心が迷ってしまいます。「勝手勘定、取り越し苦労はおかげの断り」と教えられています。神様にお願いの伝票を入れると神様は必ず引き受けてくださるから、あとは一切を神様にお任せして心配することはないと教えられているのですが、私たちの心は、お願いしても直ぐに心配が心をよぎります。  それは天地の御恩ということが本当にわかっていないからなのです。どのような深い思し召しで今日まで私たちは生かされてきたのかがわかっていないからなのです。  『自分でしようと思うなら、神は見ていてやる。させていただくというなら、付きまとうて手伝ってやる』と言われている神様です。  何事も自分でしようと思うのではなく、神様をもう一人の親と頂いて、子供らしく何事もお願いしてさせていただく生き方を、日日の生活の中で繰り返し、繰り返し稽古していくことが大切なのです。  そのためには、私たち一人ひとりがいかに恵まれて生かされているかを日日の暮らしを通してわからせて頂かなければなりません。『この道は話を聞いて助かる道』と教えられているのです。