今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

初代親先生50年祭のお年柄

 おかげを頂いて、令和七年の新春を迎えさせて頂き、真に有難いことです。
 昨年は、玉水教会初代大先生八十年祭が仕えられ、銀座教会におきましては、初代親奥様の三十年祭のお年柄でした。
 今年は、八月一日に初代親先生の五十年祭が執り行われます。共々に一層に信心を進めさせて頂きたいと思います。
 初代親先生湯川誠一大人は、昭和五十年八月一日、二代親先生が月霊祭を仕え終えた事を報告して後十八時半ごろ、玉水教会二代大先生夫妻、三代大先生夫妻も傍におられ、家族全員、教え子らが見守る中、安らかにお国替えされました。八十八歳でした。
 私も傍にいて、初めて身近な人の死に触れ、涙が止まらなかったことなど、その時のことを今でも鮮明に覚えています。
 もう五十年、半世紀も経ったのかと思うと、信じられないです。
 私は、当時九才で小学校四年生でした。
 初代親先生(祖父)との思い出は、たくさんあります。一番印象に残っているのは、祭典のお姿です。装束姿がとても格好よくて、将来自分も着てみたいと憧れました。その当時の装束は、今はなくなり残念ながら着ることは出来ません。
 また、祝詞の声や教話の声が少し甲高い声で特徴があり、大好きでした。久しぶりにテープで聞くと懐かしく、昔のお広前に帰ったような気分になります。声にもお徳があったのでしょうか
 ある時祖父から、よい点数の答案用紙だけを持って来なさい。一枚ごとに百円のお小遣いをあげるからと言われ、必死になって探して持って行ったのを覚えています。なぜ、そんなことをなされたのか、未だにわかりませんが、探して見ると思っていたよりあることに気が付き、少し自信が持てたのを覚えています。
 今になってこの体験は、人に対して悪いところだけを見るのでなく、良いところを見てあげなさいとのみ教えとして、取り組みさせていただいております。
 今年は初代親先生五十年祭のお年柄、その信心の中身を夫々が頂いて行くことが大切だと思います。
 先日、湯川安太郎信話第二集の一、ホ「願い心を消すな、狂わすな」の中で、背負いの呉服屋さんの話を読ませて頂きました。呉服屋さんが神様にお願いして仕入れた品物なのに、得意先でヒヤカサレ、荷物の奥の方にしまい込んでしまいネンキモン(売れ残り品)ができるという話です。それに対して、大先生は私ならこうですな「神様にお願い申して買わせて頂いたんだから、きっと売れるものなりと」と信じてヒヤカサレようが「この品物でなくちゃならん家がある」といつもより余計に得意先を回る、しぜん、ほかの品物も売れ、売り上げも増える。あんたがそんな品物をさばかにゃならんというのは、半分遊んでいるような商売の仕方しているから、もっと回れと神様がご催促下されていると思わんならん。
 このお話から、私は「大先生が私ならこうですな」と言われるところに着目しました。御取次を頂くというのは、大先生ならどう考えどう取り組むかということを私たちがよく考え実践することだと思わせて頂きました。
 この呉服屋さんは、その通り実践して売れ残り品がなくなり商売もよくできるようになりました。
 この話のように自分の思いと大先生の思いと見比べてみて、改まることが大切だと思います。
 祖父は、初代大先生の信心を東京の地で実践なさり多くの人を助けました。
 今年は、改めて初代親先生、初代大先生、金光様のみ教えを実生活の中で取り組むことを目標にして、できるところから改まり、本当の信心を共にさせていただきましょう。