湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一
お徳の中で 教会長 銀座だより6月号
三月、四月はお祭りが多いです。お祭りということについて、初代大先生(玉水教会湯川安太郎師)は「祭り」はご神前を祓い清めて装束をつけて儀式として行うもの。「祀る」ということはたとえ神棚がなくても朝晩に拝礼することであり、常住に神様を奉斎することです。「お祭りは教会でするもの」ではなく、「銘々が喜びを神様に奉る」ことで、信心はこの喜ぶということが何よりも大事なこと。と、お話なさっています。
常に心に神様を祀っていれば、毎日がお祭りになると教えられていますが、お互いはなかなかそうはできません。ですから、教会で日を決めて月霊祭や大祭を行い、目に見せてもらうことで、改めて日々神様のおかげを頂いていることを喜ばせてもらうのです。「お礼を申し上げる気持ちで祭典に参拝する」ことが大事です。心配しながらお礼を言っても、それでは神様に通じないことになります。
本当に心から喜び、喜びをお供えさせて頂くにはどうすればよいでしょうか、初代大先生が教えて下さっています。
「この世界を、眼に見えるものと、眼に見えんものとに別けて一方を生滅界、他方を本体界と名付けております。」「森羅万象は、みんな眼に見えないものの力のあらわれ、力のカゲでありまして、つまり、眼に見えないものの働きによって、眼に見えるすべてのものが成り立ち、形をもってあらわれておるのであります。眼に見えるものは、ちょうど浮雲のように、どのように変化するかわからんたよりないものですから、それを生滅界といい、眼に見えんものこそ、眼に見えるもののモトをなすもので、眼に見えんのでたよりないように思われますが、実は変わらんでたよりになるものなので、これを本体界というのでありまして、生滅界の森羅万象は、ことごとく本体界のカゲ(仮現)。神様の偉大なお徳によって、そうなっているのでありますから、神様というと眼には見えませんが、その働きは、まさにお互いの眼の前にあらわれておるのであります。」(信話集第三集)
眼に見える森羅万象は、実は見えていない本体界に支えられています。そこが神様のお力なのです。
たとえば電気、これは当たり前のように使っています。電気というのは電子の運動によって発生するエネルギーです。電子が何らかの力で動くと電流が起きて発電につながる。理屈では分かっても、何らかの力とは何でしょうか。また日本では発電はほとんど火力発電です。その原料は天然ガス、石油などです。では天然ガス、石油は誰が作ったのか。人間の力ではありません。大地から生まれます。そこを考えると、神様のおかげで私たちは電気を使うことができているのです。本体界という神様の支えがあって、生滅界の私たちの生活があるのです。
『目に見えるおかげより目に見えないおかげが多いぞ』『知ったおかげより知らぬおかげが多い』とみ教えがあります。
「おかげを頂き入学致しました」喜んでお礼を言います。もちろんそれも大切ですが、通学の電車が動き、学校でパソコンも使えるのは見えない部分の支え(発電、天地のおかげ)があってこそです。
二代親先生は「体内のすべての器官が微妙なバランスを持ち続けているから、生きていられる。そこに神様を感じるか感じないか。それが大切です」とおっしゃいました。私たちの体も、血液が流れて体内の微妙なバランスが保たれているから、動けるわけです。
神様がどれだけ目に見えないところを支えてくださっているか。そこに神様を感じてお礼を申し、そこを土台にして、一層に信心を進めさせてもらって、心から喜んでお祭りを迎えさせて頂きたいと思います。