湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一
お徳の中で 教会長 銀座だより4月号
今年は玉水親教会におきましては布教百二十年のお年柄です。銀座教会では八月一日に初代親先生(湯川誠一師)の五十年祭を迎えます。
初代親先生は玉水教会で明治四十年からご用をされ、続いて銀座でのご用を合わせて約七十年間仕えられました。お隠れになって今年五十年になります。
初代大先生(玉水初代教会長湯川安太郎師)のみ教えに「残り惜しゅうない信心をせい」とあります。振り返って、もっと信心しておけばよかったと思うような信心をするな。十分に祈って、あとは神様に任す。全力を注いだ祈りで悔いのない信心をせよということです。
初代親先生は、初代大先生の思い、願い、その元になる信心をどう現していくかということに打ち込まれたのです。
亡くなられる年(昭和五十年)の元旦祭に「信徒会、婦人会、諸々の会をまとめ、教師も信徒もひとまとめにして「道輝会」を発足する」と。初代大先生のおくり名を頂き、その願いを受けて東京で難儀な氏子を助けさせてもらうおかげを受けていくようにとお話下さいました。
初代親先生の初代大先生に成り代わってのご用は「恩を受けて恩に報いる」ということの大切さ、何としても初代大先生のご恩に報いたいとの深い思いの表れではないかと思わせて頂きました。
銀座だより(たちゆく道)の中で、初代親先生がおっしゃっています。
「私自身がお結界に座らせて頂くまでの道程をお話しているうちに、み霊となっても座らせて頂くお結界、永遠の場としてのお結界ということを分からせてもらったのです。いつまでも尽きぬご用をさせて頂くことのできる場所が、お結界である」「生きているうちにしっかり十分に働かせてもらっていけば、み霊としても離れずにご用ができるのであるということを、分からせて頂いてきたのです。」
ご自身がまだご生存中に、自分がみ霊となっても銀座のお結界に座ってご用をして下さると話して下さっています。初代大先生がみ霊となってお結界に座って、働いて下さっていることも証明して下さった話ではないでしょうか。
初代親先生はこの五十年間、目にはみえませんけれども、変わらずお取次ぎ下さっているのです。
初代大先生の信話集に慢性の腰痛の信者さんのお取次ぎ頂いた話があります。
大先生「一週間で」。信者さん「私のは慢性で」。大先生「じゃあ一年」。信者さん「長すぎます」。大先生「七年かかった腰痛。一か月でも七年と一か月になる。なんで一週間でおかげを頂こうと思わないのか」。やっとその信者さんは腹が決まって「一週間で!」とお願いし、一週間でおかげ頂いた。
私たちはこの信者さんと同じように、無理だと諦めてしまっているところがあるのではないでしょうか。景気が悪いからとか色々な理由を付けて。初代大先生も銀座初代、二代親先生も働いて下さっているのですが、こちらの信心が動かなかったら、「よっしゃ」と言って頂けません。ここが私たちのできるところの大事な部分です
初代大先生、銀座初代、二代のみ霊様が働いて下さるような信心を私たちは一歩進めて行きたいと思わせて頂きました。「残り惜しゅうない信心を」もっともっと求めさせて頂けば、もっともっとみ霊様も働いて下さいます。
八月に五十年祭を迎えさせて頂きますが、自分自身、家族、周りの人、一人でも多くの難儀な氏子を助けさせて頂き、お役に立たせて頂きたいと願って、私がするのではなく、神様がして下さる手代わりとして、共々に信心を進めさせて頂きたいと思います。