今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより9月号

「信心ということは、高等道徳とか高等倫理、超道徳とか超倫理と言われます。そういう定義も無意味ではありませんが、それよりも、私たちの手元において信心とか信仰とか神様をどういうように理解しているのか、そこを問題にしたほうがよいと思います。」(教話抄青年会での話)
 湯川誠一初代親先生は青年会の人たちにこのようにお話しなさっています。
 先生ご自身、十三歳の時、学校の徒競走に勝ちたいという願いを神様にお願いしました。十四歳には腸チフスにかかりお願いし、全快のおかげをこうむりました。徒競走に勝ったことも、腸チフスが治ったことも神様のおかげと母親は言います。しかし友達にいうと、「そんなバカなことがあるか」と言われ、半信半疑になりました。
 先生は、十代、二十代、三十代とその年代により問題が違う。それをお願いしおかげを頂いて、そのことが神様のおかげなのか、たまたまそうなったのか、そこを大切になさっています。
 目前の問題に悩み、取り組んでおかげになっていく、それによって神様の本質に近づくことができたのです。最後にぶつかったのが恋愛問題です。そのころは玉水教会で修業をなさっていました。先生は「恋を捨てるか信心を捨てるかと言われたら、恋を捨てても信心は捨てない」というお気持ちでした。すごいですね。その姿勢で時が経って湯川ツヤ姫と結婚されました。先生ご夫妻は仲が良く、信心の上でも“あうん”の呼吸で、それを見させて頂くだけで神様のおかげが分かってくるようなご夫婦でした。
 また先生は「神様は批判をなさらない。罰則も与えられない。むしろ抱擁的な愛を持って下さる神様」と言われました。(信心できないからおかげはやらん)そんな神様ではなく、どんな問題でも氏子可愛いと包んで下さる神様なのです。
 初代親先生は、誰にでもあるような問題、健康問題、友達(人間)関係や恋愛問題など目の前の問題に取り組み、一生懸命祈っていく。教義がどうこうではなく、問題に取り組み、祈ることで神様の本質にせまり、銀座に来られて人を助けるご用に立っていかれたのです。青年時代は悩みを神様にお願いし取り組む。若い時の信心はそれでいいのだと教えられました。
 お金が有るときや体が丈夫なときは、神様といってもなかなかわからないです。私も二代親先生が居られたときは、先生にお願いして楽に済んでいました。しかし亡くなられたあと、神様にお願いするしかありません。腹が決まって、神様にお願いするとおかげが現れてくるのです。それで神様を信じる力が強くなることを分からせて頂きました。
 若いときは神様のことは分からなくても、お願いすることをしっかり伝えていく。子供さんやお孫さんに、自分の問題として取り組ませることが大切と思います。神様にお願いしたらどういうことになるかということが大切なことで、神様との関係や取り組みが出来ていく基本なのです。
 初代親先生はお徳の高い先生ですが、決して近寄りがたいお方ではありません。お火鉢で、信者さんに大阪弁で気さくに声をかけておられました。それで信者さんも自分のことをご祈念下さっていると喜ばれます。明治生まれですが、私にとっては優しいおじいちゃんでした。ご自身が温かく抱擁的なお方でした。
 皆さんが初代親先生にお願いするように一生懸命ご祈念したら、きっと神様にお取次下さることと思います。
 そういう心で五十年祭を迎え、共々に喜んで頂ける信心をさせて頂きたいと思います。