湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
銀座教会長 湯川浩一
お徳の中で 教会長 銀座だより1月号
銀座だより一月号 新年を迎えて
おかげを頂いて、令和八年の新春を迎えさせて頂き、真に有難いことです。
今年は午年です。私は二月に還暦六十歳にならせて頂きます。私の生まれた年は丙午(ひのえうま)で出生率は大きく減少しましたが、私は早生まれでしたので、昭和四十年生まれと同級生で人数も多かったです。還暦の人と言ったら、年寄りの仲間入りと思っていましたが、まさか自分がその年になろうとは。でも本教にいましたら高齢で元気に御用されている先生方が多いので、いつまでも若手のような気持ちでいられます。
昨年は、八月一日に初代親先生湯川誠一大人の五十年祭を無事に仕えさせて頂きました。天候万事にお繰り合わせを頂き、猛暑が続く中、当日は北風が吹き気温も三十度位でおかげを頂きました。これも初代夫妻のお徳によるものと思わせて頂きました。
また、昨年はお年柄として、取り組んだ事、させてもらった事がありました。
六月に出社の先生方と修徳殿に入殿をしました。副輔導の御用をさせて頂いていますが、入殿するのは学院生の時以来です。入殿の成果としては、自分の問題を話すことの難しさを感じた事と同じ班の先生の話がとても良かったことです。同じ場所にいて、初代親先生が一人一人丁寧に、教導されていただろうお姿が思い浮かんできました。
十月の御本部の生神金光大神大祭で、祭典前の教話をさせて頂きました。これは、私の中でお年柄としてのとても大切な御用のひとつになりました。その後すぐに道輝教師会で初代親先生について講話をさせていただき、昨年は本当に勉強の一年になりました。
また、湯川誠一教話抄三を刊行させて頂きました。読めば読むほど、私なりに解釈が膨らみ、新たな発見がありました。
今年は、二代親先生、父の二十年祭を、当日の五月八日に仕えさせて頂きます。もう二十年にもなるのかと思います。当時、私は四十歳でした。亡くなる前の年の十二月に父は、検査を受けました。その時点で、父には話さなかったですが、余命半年と言われました。年末の柿生の奥津城のお掃除が終わり、昼食でお蕎麦を食べたのですが、全然喉を通らず飲み込んだのをよく覚えています。その後、大先生と金光様の御取次を頂き、少し落ち着き、ご祈念しかないと年末年始を乗り越えさせて頂きました。一月になり、手術ができることになり、長時間ではありましたが成功しました。でも、それからだんだんと弱っていき、五月一日に危篤、皆さんとお別れができ、五月八日に七十五歳で安らかにお国替えしました。私は教会で翌日出かけるために、御本部月参拝の準備をしていました。母と玉水三代大奥様に見守られての最後でした。
あれから二十年、初代・二代親先生に成り代わってという思いで、日々御用させて頂いてきました。
父が帰幽して二年目に結婚、三年祭の年の九月に長男和夫が生まれ、五年祭の年は東日本大震災があり、6月に長女育子が生まれました。子供を授かり、親の気持ちが少し分かりました。今では、子供たちが成長するたびに、父や母がこんな風に思い、ご祈念をしていてくれた事に気付くことが多くなりました。お育て頂いた御礼の足りなかったことを思いながら、両親の霊様との会話が増えたように思います。
今年は、二代親先生の教話抄を刊行する予定です。教師・信奉者一同と共に、二代親先生が私たちに遺してくださったみ教えを改めて頂き直して、実践に取り組み、より一層に信心を進め、二代親先生に喜んで頂き安心してもらいましょう。








