湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一
お徳の中で 教会長 銀座だより8月号
湯川誠一銀座教会初代親先生の五十年祭を迎えることになりました。
十年前の四十年祭時の銀座だよりに、私は「二代親先生がお仕えくださるお祭り」と書きました。それは今から二十年前の四月、親教会で玉水布教百年祭が盛大に仕えられ、八月には初代親先生の三十年祭が仕えられ、ほっとしたのか、当時とても元気だった父は、その年末から体調を崩し翌年の五月八日にお国替えされました。
二代親先生自身も五十年祭はともかくも、次の四十年祭は祭主を勤めるおつもりでおられ、次の四十年祭に向けて願いを立てられ新たなスタートを切られておられたと思うのです。
ですから四十年祭は私にとっては、初めて仕える初代親先生の式年祭のお祭りでしたが、私の思いとして「二代親先生がお仕えくださるお祭り」だったのです。
でも、今年の五十年祭は思いが違います。初代・二代親先生のお徳の中で、初代大先生の御取次をいただいて、金光大神様 天地の親神様に仕えていただくお祭りであると、そのように思わせていただいております。
またこの十年間で、私と初代親先生との関係で大きく変わった点がありました。
それは、私が令和元年から修徳殿の副輔導の御用をさせていただくことになったことです。初代二代とも輔導の御用をなさっておられました。まさか私のような者の信心で御用が勤まるのだろうかと考えましたが、現大先生の御取次をいただき、御用を受けさせていただきました。
入殿出仕のたびに、輔導の先生方から、「初代先生を知っているのか、接したことはあるのか」とよく聞かれました。その都度私が「小学四年生の時にお国替えされ、教導されたことはありませんが、それまでは一緒に生活をさせていただきました。」と答えると輔導の先生方がそれは素晴らしいことだなと言われるのです。
今まで初代親先生を知っていたことは、当時は小学生でしたのでそれほどの事ではないと思っていましたが、そうではない。実体験があることで、こうやって式年祭を仕えるのでも、思いが違ってくる。私は末っ子でもう少し生誕が遅ければ、また初代親先生が八十八歳まで長生きしなければ、会えなかったかも覚えていなかったかもしれない。これは大変なおかげで、ご神縁であり御礼が足りなかったことに気が付かされました。
最後に、初代親先生が私に遺してくださったものです。それは、もちろんすべて父を通して教えられたものです。
一つは、御本部と親教会への月参拝です。それも十日というお日柄に参拝をされるということ。私も二代の後を受け継ぎ、変わりなくさせていただけております。初代は、お日柄日を大切になされました。二十日は二代金光四神様、二十二日は天地金乃神様、二十四日は初代白神先生、二十七日は初代大奥様と、その日には必ずお供え物をします。最初はどのようにご祈念したらいいか分りませんでした。だんだんと信話集を拝読するうちに分かるようになり、今ではご恩を忘れないための大切な日であると分かり、もし初代が遺してくれていなかったら、私はご恩を忘れ、自分の信心の原点をも忘れてしまうところでした。
五十年祭というと、一つの大きな区切りです。もう一度原点に立ち返り、初代大先生が初めて上京された時に「難儀な氏子を一人でも多く助けたい」と東京布教を発願され、その思いをうけて初代親先生が、今から百二年前に布教を開始しました。今も、現代の難儀で苦しんでいる人達が大勢います。その人たちを一人でも多く導き助けさせていただくことが、一番喜んでくださることだと思います。