湯川浩一(ゆかわこういち)
1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。
お徳の中で 教会長 銀座だより12月号
ご本部参拝をしますと、私たちは教祖様の奥津城を拝礼した後、振り返って香取の方向に向かって、教祖様のご両親の奥津城への遥拝をいたします。これは、初代親先生がまだお若かったころ、玉水教会初代大先生のお供をしてご本部参拝されたとき、教祖様の奥津城を拝礼され、香取の方に向かって遙拝された後、初代親先生に「お前はどういう気持ちでお礼を申したか。私は心からお礼申したのや。私のようにめぐりが深く、どんな境遇に陥っていたかしれない者が、信心をさせて頂いたおかげで、私だけでなく私に付き添う大勢の信者さんまでおかげを頂いている。これは教祖様がこの世にお出ましになり、この道をつけて下されていればこそである。そしてその教祖様を育てて下されたご両親のみ霊様に心からお礼申し上げずにはおれないのや」と話されたと言われています。
それ以後、初代親先生も二代親先生も私どもも遙拝させて頂いているのです。
初代大先生は神様から「子孫二十代苦難が続く」とのお知らせを頂かれたと言われています。その大先生が信心によって先生ご自身だけでなく、今日私どもに至るまで助けて頂いているのです。私たちが神様にお礼を申し上げるのは、日常の目に見える事柄のお礼が多いように思います。このお礼も大切ですが、もっと根本的なお礼、分かりやすくいえば信心させて頂いているお礼が大切なのです。
その信心は、教祖様から始まっているのです。教祖様は四十二歳のとき“のどけ”という病気にかかられ、湯水ものどを通らなくなり医者からも「九死に一生」と告げられることになりました。あとは神頼みしかないと、身内の人たちが集まって神様にお願いしました。そうしますと教祖様の義弟に当たる方に神がかりがあって「家の建築、移転に無礼があった」とのお告げがありました。そのような時、強く言い返さなければならないという当時の風習通り、教祖様の義父に当たる方が「日柄方角を見ていたしましたので無礼はありません」と強く返答されました。そうしますと神様から「日柄方角を見れば主が死んでもいいか」とのお告げが返ってきました。
それを聞かれた教祖様が「私は凡夫で分かりません。日柄方角を見て済んだとは思いません」と心からお詫びをされますと、神様から「その方はよい。助けてやる」とのお言葉があり、日頃からの信心の徳によって、熱病で助からないところを“のどけ”にまつり替えて下さったことも教えられたと伝えられています。
今まで日柄方角を見て、たたり障りの神様を避けてきたのですが信心すれば助けて下さる神様であると分かったのです。
私たちは教会にもお参りし、いろいろとご用をさせて頂いていても、なかなか願いどおりのおかげにならないことがあります。私たちは願いどおりのおかげが頂ければ幸せになれると思っています。でもこれは人間の尺度です。神様の尺度ではありません。
父(二代親先生)は「至らぬ者であるという自覚が大切」と教えられました。至らんということは“足らん”ということでもあります。初代大先生は「私ほど足らん者はない、私ほど足してもらっている者はない」とおっしゃっています。
そういう自覚に立って物事やおかげについて考えていくことが大切で、それによって神様の思し召しを気づかせて頂けるのではないかと思います。
本教は、教祖様の「私は凡夫で分かりません」という心境から始まっています。私たちも凡夫であり、至らぬ者であるということを常に忘れずにいたら、愚痴不足がなくなるのではないかと思います。
自分自身の尺度や物差しを、改まっていく稽古をさせてもらいましょう。