今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより2月号

 このお道では『喜び喜んで喜びのおかげ』と教えられていますが、普通信心すると言いますと、自分の願いをかなえてもらうために神社仏閣に参拝します。自分の願いがかなえば喜びますが、そうでないときは愚痴不足が出てきます。
 私たちの信心は元をたどっていけば教祖様がされたご信心で、そのご信心の大切なところが、四十二歳のご大患のお話の中にあると思います。本部教庁から発行されている「金光大神」から要約しますと、当時、男の四十二歳は大厄の歳と言われ、神社仏閣へ厄晴れの祈願の参拝をするのが習わしでした。教祖様も氏神様をはじめ、何十キロもの雪道や、往復百キロもの道のりを歩いて主だった神社仏閣に参拝して、特別の祈念祈禱をされました。
 そのころに家屋の移転増築をすることになり、日柄方角を見てもらい忠実に工事を完了します。ところが病に伏せることになり、医師から「九死に一生」と宣告されます。
 当時の習わし通り身内の者が集まり病気全快の祈願をすることになり、修験道の先達の資格を持った人のところに神がかりがあって「建築移転について神に無礼があった」と告げられます。それを聞いた義父が「方角を見て建てたから、お障りはない」と答えますと「方角を見て建てたら、この家が滅亡しても、亭主が死んでもかまわないか」と神様からのお言葉があります。
 教祖様が寝床から「狭い家を大きい家にしましたので。どこにご無礼しておりますか、凡夫であいわかりません。方角を見て済んだとは思いません。ご無礼のところお詫び申し上げます」とお答えされますと、神様から「そのほうは良い。本来なら熱病にかかるところを熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのである。信心の徳をもって神が助けてやる」とお告げがあったと記されています。
私たちは、自分はこれだけのことをしたのだからと、自分中心に考えますから、どうして神様は聞いてくださらないのかと愚痴不足になります。ところが教祖様は、「凡夫でわかりません」とお詫びしておられます。これは神様の思し召し中心なのです。
 湯川安太郎玉水教会初代大先生も、奉公先の商家が倒産して、その後の身の振り方を、ご本部に参拝して当時十四歳だった三代金光様に相談されますと、「小売りをしなさい」と言われます。すでに、自分の信用だけで大きな商いの出来る商人であった大先生にとって思いもかけないお言葉でした。ずいぶん迷われたようですが、神様のお言葉と頂いて小売りを始められます。そこから大先生のご信心が展開していって、玉水教会も銀座教会も生まれてくることになるのです。
 私たちは自分の思いからなかなか抜けられなくて、ついつい愚痴不足勝手勘定取り越し苦労をしてしまいます。
 自分の思いへのこだわりを捨てると何も無くなるように思えるのですが、自分を生かしてくださっている、もっとスケールの大きな力によって道が開けていくのですから、自分の思いよりはるかに大きなおかげになるのです。
 教祖様も四十二歳の大患の折には『心実正、神仏に身を任せた』と述懐されたと記されています。
 自分の思い中心か、神様の思し召し中心かは信心にとってとても大切なことなのです。
 教祖様や大先生のようにはとてもなれないでは、信心にはならないのです。
 『わが力ですると思うな』と教えられています。何事もお願いして「させて頂く」思いになることが大切です。