今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

湯川信直大人10年祭を迎えて(前半)

「銀座だより」2016年5月号(二代親先生特集号) 「二代親先生 湯川信直大人10年祭を迎えて」より 早いもので、父湯川信直親先生の十年祭を迎えさせて頂きます。 以前にもまして、父のみ霊が祖父湯川誠一初代親先生のみ霊と一つになって、この銀座の広前で私たちのことを温かく見守り、祈り、導き通d家てくれていることを感じます。初代、二代のお徳の中で、おかげを頂かせてもらった十年であると改めてお礼申さずにはいられません。 この十年を振り返って 思えば十年前、父は十二月に病気が分かってから、半年もしないで五月八日に国替えとなりました。それは思いもよらぬことで、当時は“これからどうなるのだろう”という不安でいっぱいでした。 私が教会長を継いでから最初の数年は、難しい問題が次々と起こる中で、苦しい思いもしましたが、神様におすがりすることだけは教えられていますから、必死に初代大先生、初代、二代の親先生のみ霊にお取次ぎを願いながら、ご用をさせてもらいました。 けれども、今思えば当時の自分は、一生懸命ご祈念をしながらも、心配や不平不足が頭の片隅にあって、結局は初代大先生の言われるように、神様を信じずに自分の腕を拝んでいたのです。 でも、そうして苦しんで、頭も打って、やはり“自分の力ではどうすることも出来ない。神様におすがりするしかない”と分からされ、心からお任せすることが少しずつさせて頂けるようになったときに、ふっと方の力が抜けたように感じました。 五年前の五年祭のときには、二ヶ月前の三月十一日にあの東日本大震災が起こり、日本中が大きな悲しみと、先の見えない不安に包まれていました。特に福島の原発事故の影響がどこまで拡大するか分からない中、一時は五年祭をお使え出来るかさえも心配されました。 けれども、「何事も自分ですると思わずに神様にさせて頂きなさい」という父の言葉を思い出し、“そうだ、神様にさせて頂くのだ。たとえお参りする人がいなくても、ご祭主をして頂く玉水教会の湯川正夫大先生さえ来て下さればお祭りは仕えられる”そう思い直して準備を進めさせてもらい、おかげを頂きました。あの時は改めて神様に私の信念を試されたように思います。 そういう苦しい中での五年祭であったのと比べて、今回の十年祭は、おかげの中で順調に準備が進められています。五年前の経験があるからこそ、“当たり前のことが出来るのは、実は当たり前ではない。万事にお繰り合わせを頂いて出来ているのだ”それが、一層身に染みて感じられ、ありがたく思われます。 お礼申さなければならないことばかり ではそれまでの苦しかった時期はどうだったかというと、今考えると、やはりおかげは頂いているのです。当時は苦しくて“なんで”と思ったことも、後になって見ると、そのおかげで先々が良いようになっていたり、大難を小難に変えて頂いていたりすることが分かります。 至らないながらも、ご用にお使い頂き、お祭りを始め教会行事も滞りなく続けさせてもらいました。私事におきましても、結婚、一男一女に恵まれ、家庭円満のおかげも頂いています。一昨年暮れに母が亡くなりましたが、十分におかげを頂いての一生だったと思います。 それから、これも初代、二代の親先生のお徳の賜物と言えましょうが、今日まで無事にご用を務められたのは、陰に日向(ひなた)に支えて下さった皆さんのおかげです。特に出社や所員の先生方の支えには、どれほど助けられてきたか分かりません。 馬込教会の荻野義一先生がご健在なのは心強いことですが、この十年の間に父と同年代の先生方がポツリポツリと亡くなられたのは本当に残念でさびしい限りです。雪ヶ谷教会の金子孚(まこと)先生、代々木教会の湯川太郎先生、銀座の塩谷治雄先生、足利教会のマツダ清隆先生、・・・本当にありがとうございました。また、代わらずご用を続けて下さった信者の皆さんにも、お礼を申し上げたいと思います。『分かれば皆お礼を申さなければならないことばかり』という初代大先生のみ教えが父の最期の教話(一月六日)となりましたが、まったくその通りで、まだまだお礼が足りないことであります。 (後半へ続く)