今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

信心した以上は

銀座だより11月号「お徳の中で」より(8月6日月例祭後の教話)

8月6日といえば七十一年前、広島に原爆が落ちた日です。広島の原爆資料館へは、私も子供のころ両親(二代親先生ご夫妻)に連れられて見学したことがあります。小学校一年生ぐらいだったかと思いますが、子供心に大変ショックを受けました。今はあちこちでテロもありますが、いよいよオリンピックも開かれます。初代親先生が祈願された「世界真の平和達成」を私たち一人ひとりが自分のこととしてお願いさせていただきたいと思います。

 今日は六階ホールで、金光教典楽会関東支部の練習会と講習会が開かれています。典楽は祖母(初代親先生夫人湯川ツヤ姫)が十代のころから習っていて、親教会でもご本部でもご用をしておりました。父(湯川信直二代親先生)も若いころは楽のご用をしておりまして、そのことに関わっての話が「天地に生かされて」第二集の「いったんやった以上はやれるところまで」のところに出ています。
 長い話なので、かいつまんでお話しますと、父は横笛(おうてき)を吹いていたのですが、初めて笛を持って吹いたときに、正音が出たと言っています。今小学校で教えられている笛のように、誰が吹いても音が出る楽器もありますが、横笛は唇の当て方や息の吹き方によっては一週間たっても二週間たっても、ピーともスーとも鳴らないのです。それでも何度か吹いているうちにピーと鳴る。その吹き方を何度も何度も繰り返してしっかり覚えていかなければ吹けるようにはならないのです。唇を当てる角度などを科学的に分析して、いくら教えてもらっても、自分で体験してみて出来るようにならなければなりません。何度吹いてもピーともスーとも鳴らなった人が一生懸命に続けているうちに何年か経つと立派に吹けるようになってくるのです。

 信心も同じで、なかなかおかげが頂けなくて、一生懸命にお参りして神様に向かっているうちに受け皿が出来ておかげを受けられるようになるのです。父は「信心も不器用でいい。信心をした以上は、真のおかげを頂けるまでやり通すことが大切です」と話しています。
 願えば神様はしっかりと聞いて下さって、必ずおかげを下さる。ですから、おかげの受け物である自分を調べて、改まっていけばおかげを受けられる。信心では、自分という受け物をどのようにさせてもらうかが大切なのです。ですから「信心すれば自分自身が分かります」と言われているのです。

 私たちは、神様にお願いしておりましても、自分ではどうにもできないことをおかげ頂けるまで願い通すことができるかというと、なかなか難しい。途中であきらめてしまって「やっぱりだめだったなあ」「お願いしても同じことだったなあ」ということになる。これでは本当に願い切ってさせて頂いたのではなくて、勝手にこちらから願い下げをしたことになってしまいます。
 そして父は、「神様によって生かされている自分である。そして働かせてもらっていくのは自分の意志で働かせてもらっていくのです。ですから、神様と自分とがどんな風な関わり合いになって、どうしていけば神様の思し召しを頂いてさせて頂けるのか。それを初代大先生が信話集の中で話して下さり、そのことを初代親先生が一生懸命に教えて下さったのです」とも話しています。

 信心をしていても、おかげを頂けるときもあれば、頂けないときもあります。それをしっかりと信心で整理して身に付けて、おかげを頂く受け皿は体で覚えていかなければなりません。
 おかげを頂かせたいという慈悲深い神様におすがりして、信心を進めさせて頂くことが大切です。