今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより8月号

今年も暑い季節になり、初代親先生ご夫妻の例年祭を迎えさせて頂きました。  初代親先生は、お国替えになり今年で45年に、初代親奥様は、26年になります。  また併せて、二代親先生ご夫妻の例年祭も執り行われます。二代親先生は今年5月で14年に、二代親奥様は12月で6年になります。初代ご夫妻のお徳の中で、父母の例年祭も仕えさせて頂きます。  初代親先生(以降祖父)がお国替えされて、あと5年で50年・半世紀かと思うと、はやいものだなと思います。  祖父との思い出は、たくさんあります。私が、小学4年生9才の時に、お国替えされました。娘は今年9才になり、そんな年頃だったのかと思います。とにかく暑い夏でした。葬儀の時、お広前に氷の柱が置かれていたのが印象的でした。孫たちが全員集まり、月霊祭が終わり、二代親先生が、祭典の無事終わったことを祖父に報告していた姿は、今でも目に焼き付いています。  祖父の装束姿はとても格好よく、特に大祭での浄衣姿には憧れ、将来着てみたいと思っていました。残念ながら祭服が変わり、思いは叶いませんでしたが、信仰を伝える上においても、儀式の立ち振る舞いは大事なことだと思います。  祝詞の甲高いお声も大好きでした。教話は、最後まで関西弁でした。もう終わりますと言われてからが長く、正座で足が痛くなったのを覚えています。私も、最後にと言ってから、話が長くなります。  祖父が入院中、ベッドのそばで母が「御伝記 金光大神」を読んでいたのを見たことがあります。入院しても求めておられたのだと思います。今のコロナ禍のもと、私たちはそのような信心の求め方ができているでしょうか。外出ができない状況にイライラして、神様に心をむけることを忘れてはないでしょうか。  祖父が元気なころは、まだ私は小さかったので、直接教えを頂いたことはありませんでした。祖父の姿を通して印象に残っている出来事は、入院しても必ず、祭典が近づくと、教会に帰ってくるということでした。もう今回は無理かと思われる時でも、必ず帰ってこられて、教話をされていたように思います。  そのおかげの事実の姿を実際に見させて頂いたことは、有難いことです。  祖父は、布教以来毎月御本部と親教会に月参拝を続けてこらえましたが、本部参拝は大正13年9月と昭和20年6月の2回だけ参拝することができませんでした。大正13年は教会認可の書類受領のため大阪より引き返し、昭和20年は空襲で岡山から先が列車不通になったので引き返したのでした。  今年4月と5月は、新型コロナウイルス感染症のせいで、私も初めて御本部と親教会に月参拝ができませんでした。布教当初から代替わりしても続けられ、後3年で布教百年を迎えますが、97年間でたった2回月参拝ができなかったのが、4回になってしまったのは残念で悔やんでも悔やみきれません。4月10日の時点では、5月には参拝できるだろうと油断していました。仕方がないとはいえ、祈念の足りなったことを反省しています。  親教会にはようやく、三代大奥様の一年祭の6月7日に参拝でき、御本部には19日に県またぎの移動が解除されて、28日にやっと参拝できました。  参拝できた時には、涙が出るくらいうれしかったです。親教会でも御本部でも、参拝した時に得られるものは、遥拝とは違うことを改めて気づかされ、参拝させて頂くことの重要性を再認識しました。  どうぞ皆さんも、改めて足信心の大切さをわからせて頂き、無理にとは言いませんが、十分に気を付けて対策を怠らず、参拝のお繰り合わせを頂きましょう。