今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより3月号

 今年もコロナ禍の中で新しい年を迎えることになりました。昨年は何度も緊急事態宣言が出され、当たり前に出来ていたことが出来なくなって、生活も様変わりすることになりました。ついつい様々な情報に一喜一憂してしまいがちですが、人間の力ではどうにもならないことばかりです。信心する者は、どこまでも神様を信じて、しっかりと心を定めていかなければなりません。  教祖様の時代にコレラが流行して、ある信者さんが「家中目張りをしても感染しないか心配でなりません」と申し上げますと、教祖様は『いくら目張りをしても、信心がなければ野中の一軒家に寝ているのと同じである』とおおせられたと聞いています。 そして湯川安太郎玉水教会初代大先生は「信心さえあれば、たとえ野中の真ん中に寝ていても心配ない」とも教えて下さっています。信心さえしっかりしていれば必ず助かる道はついてくるのです。  初代大先生が始めて上京されたときに「東京にも難儀している人が大勢おられる。その人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という願いを持たれ、その願いを受けて一の弟子であった湯川誠一初代親先生が東京に布教されたのが銀座教会の始まりです。 銀座教会は布教した年に関東大震災が起こり焼失します。初代親先生は焼け野原になった東京を見て「街は焼けても、大地は死んでいない」と、仮住まいの御神前で一心に東京の復興を願っていくと、翌年には銀座に金光教銀座小教会所が生まれるのです。その教会も戦災でまた焼失してしまいますが、今度は仮広前で日本の復興を願って、また翌年にはお広前が復興しています。  これはどのような災難の中でも、生神金光大神取次ぎの働きは続けられ、大勢の信者さんたちが助けられてきた事実の現れでもあるのです。 銀座教会のお広前には、この信心の積み重ねが今でも生きているのです。 来年は布教百年のお年柄を迎えます。銀座教会では十年祭とか五十年祭といった式年のお祭りはしてきませんでした。これは、初代親先生が東京布教は初代大先生に成り代わっての布教であるという思いを生涯貫かれて、身の祝いになるからと節年のお祭りはされませんでした。二代親先生もその思いを引き継がれ、私もそのようにさせて頂いてきました。  でも、来年はこの銀座という場所に生神金光大神取次ぎの広前が百年続いたことへのお礼と、百年で終わるのではなく、そこからより一層たくさんの人たちがおかげを頂いていく広前としての働きが現われていくことのお願いのお祭りとして仕えさせて頂きたと思っています。  初代親先生は晩年に「めいめいに道輝会をしていくように」と言い残されました。「道輝」とは初代大先生のおくり名です。おくり名とは亡くなられた後におくられる名前のことです。  「会」と言っても大勢集まってするのではなく、二人で信心の話が出来れば、それが道輝会になると教えられました。 信心生活とは、信心と生活が別にあるのではなくて、信心と生活が一つになっていることで、もっと言えば、どこまでも神様を信じて神様と一緒に生活していくことなのです。 コロナ禍で、いくら心配りをしても、これからどうなっていくか誰にもわかりません。 銀座教会のお広前には百年の間積み重ねられてきた信心で、天地の神様からおかげを頂ける道がついています。  私たち一人ひとりが、このお広前のお取次ぎを頂いて、改めて信心を頂き直して百年祭を迎える心構えを持つことが大切です