今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより4月号

 暦の上ではお正月を迎えて新しい年が始まりますが、銀座教会は布教記念祭を迎えて新しい年が始まります。布教記念祭は銀座教会が生まれた日のお祭りです。今から九十九年前の大正十二年一月二十日に銀座教会は生まれました。  大正九年に湯川安太郎玉水教会初代大先生が明治神宮に参拝するために初めて上京された折に「東京にも難儀をしている人たちが大勢おられる。その人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という願いを持たれたのです。これは初代大先生のご信心から湧き上がってきた願いです。その願いを受けて湯川誠一初代親先生が上京されて木挽町(現在は銀座四丁目)の路地の奥の古い小さな家で布教所を開設されたのが大正十二年一月二十日だったのです。  今にも壊れそうな古い小さな家だったので初代親先生は、もっと大きなところをとお願いしていますと神様から『八月の末にはどうしても引っ越しをしなければならない』とのお知らせを頂かれました。楽しみにしておられましたが八月の末になっても、どこからも何の音沙汰もありません。「神様はうそをつかれたのかしら」「そんなはずはない。もしかして旧暦で言われたのかも」などと夫婦で話し合ったりしていますと、翌日の九月一日のお昼前に関東大震災が起こり、ちょうど火を使う時間帯だったので、あちこちから火の手が上がり東京中が大火災になってしまいます。布教所は古い家だったのに倒壊しなかったのですが火災で焼失してしまいます。  焼け野原になった東京を眺めながら初代親先生は「街は焼けても大地は死んでいない」と間借りした一室で東京の復興を祈っていきます。 そうしますとすっかり焼けてしまった銀座の借地権が売りに出され、翌大正十三年には金光教銀座小教会所が生まれるのです。  その教会も昭和二十年五月二十五日の大空襲で、また焼失してしまいます。今度は避難先の仮広前で日本の復興を願っていると、また翌年には敷地が広がってお広前が復興します。  その間、十年祭とか五十年祭という式年祭は行われてきませんでした。それは、初代親先生が東京に布教されたのは、初代大先生のご信心から湧き上がってきた願いを受けて、初代大先生に成り代わっての布教なので、式年祭は身の祝いになるからとされませんでした。  そして布教記念祭の祭主は親教会の大先生にお願いされ、自分は東京でおかげを頂いた最初の信者として玉串を奉奠されていました。二代親先生もそれを引き継がれ、私もそのようにしています。  ですから百年祭は式年祭としてはいたしませんが、この銀座という場所に生神金光大神取次ぎの広前が生まれ、百年の間大勢の信者さんたちが助けられてきたことへのお礼のお祭りとして、そしてこれから先の百年に向かってますます大勢の人たちが助けて頂けるお広前であることへのお願いのお祭りとして仕えさせて頂きたいと思っています。 布教記念祭は銀座教会の節目でもあります。百年祭は、次の百年に向かっての出発点であり、新しく生まれ変わっていく節目のお祭りでもあってほしいと思っています。  コロナ禍で、今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなって、生活も様変わりしようとしています。私たちの信心も初代大先生、初代親先生、二代親先生のご信心を改めて頂き直して次の百年に向かっての信心を進めていかなければならないと思っています。  そのための信心を皆さんと一緒に進めていきたいと思います。