今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより5月号

 三月と九月は霊祭月ですが、霊祭は私たちがするお祭りではなく、生神金光大神様のお取次ぎを頂いて天地の神様がして下さるお祭りだと教えられています。  教会の霊殿にお遷しされているみ霊様だけではなく、宗派を問わず各家庭のご先祖のみ霊様、関東大震災や東日本大震災やコロナ禍でお亡くなりになったみ霊様なども一緒におかげを頂いていくお祭りなのです。  「私のようなものがそんな大きお願いを」と思いがちなのですが、どのような願いでもお取次ぎを頂いて一心に願えば神様は必ず受け取って下さいます。そしてその願いが徳を積むことになり、後々の信心の徳につながっていくのです。  神様は『生きても死んでも、この天地はわが住み家と思え』と教えて下さっています。ご先祖のみ霊様も生きている間だけでなくみ霊様になってからも天地のおかげを頂いているのです。ご先祖のみ霊様に成り代わってそのことのお礼を申し、お礼の足りないかもしれないところをお詫び申していくのです。  また「親先祖は過去の自分である」と教えられています。今の自分とは切っても切れない間柄なのです。ですから過去の自分が助からなければ今の自分は助からないのです。過去の自分と言いましても、今の自分には関わり知らないことですが、お取次ぎを頂いて助かりを願っていくことで今の自分が助かっていくことになると教えられています。  神様は『親先祖を大切にせよ。神はこれ以上の喜びはない』と言われています。玉水教会初代大先生は「親を放すと、おかげ頂く道具がなくなる」と教えて下さっています。どうすれば親先祖に喜びと安心と満足をして頂けるのか、子孫である私たちがどのような信心をしていけばいいのかを、改めて考えてみなければならないのです。  親の心に添うようなお願いをしていくことについて、次のような話が残されています。  酒癖が悪くて家族中が困っている父親がいて、その娘さんが「どうぞお父さんがお酒を飲まなくなりますように」とお願いしていました。常日頃お母さんの苦労なども見ている娘さんとしては当たり前のお願いのように思われますが、初代大先生は「そのようなお願いは神様は聞かれへんやろうね」と教えられました。そして「親の好きな酒をとりあげるようなお願いより、酒を飲んでも差し支えのないおかげをとお願いしなさい」と教えられました。  娘さんは素直に教えられたようにお願いしていますと、いくら言っても聞かなかったお父さんが、自分から酒を飲むのを止めてしまったのです。  私たちのお願いはどうしても自分の思い中心のお願いになってしまいます。その願いが親の思いを中心にした願いに変わっていったのです。自分にとって困ることがある時は、なかなかそこから離れることは難しいと思いますが、その骨折りをすることが信心の骨折りなのです。  親大切と思ったら、親の酒飲みのお願いするのでも、そのようにお願いするのが、お道にかなったお願いなのです。  次に親神様の願いに添った願いをしていくことが大切で、それがやがて徳を積むことになっていくのです。その徳が積み重なっていくことで過去の自分である親先祖が助かり、今の自分が助かることになるのです。  コロナ禍の終息を願うことも戦禍が終わって人々が平和な暮らしを取りもどすことを願うことも、「私がこんなことを願っても」と思わずに願っていくのです。  必ず神様は受け止めて下さいます。神様の願いに添った願いをしていくことが信心にとっては大切です。