今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより8月号

 来年は銀座教会が布教して百年のお年柄を迎えます。銀座教会ではこれまで何十年祭といった式年祭はしてきませんでした。湯川誠一初代親先生が湯川安太郎玉水教会初代大先生の「東京にも難儀な人が大勢おられる。その人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という思いを受けて、大先生に成り代わっての東京布教であるという思いから、式年祭は自分の身の祝いになると言ってされませんでした。湯川信直二代親先生もそれを受けて式年祭をされませんでした。私もそれを受けてきましたので、本来ならば百年祭としての式年祭はしないところです。
 でも、東京の銀座という場所にお広前の働きが百年間続いてきたことを思いますと、初代親先生、二代親先生と受け継がれてきた信心を、改めて頂き直して次の百年へ展開させる節目の年ではないかと思いますので、百年祭としての式年祭をさせて頂くことにしました。
 そこで百年祭を迎えるための祈願詞を作ることになりました。祈願詞と言えば日々銀座教会のお広前での勢祈念で唱和している祈願詞があります。
初代親先生がお作りになったものですが、その中に「天下泰平諸国成就、総氏子身の上安全、世界真の平和達成」という文言があります。
 私たちの日々の暮らしのあれこれとは程遠い願いのように思います。このような願いは神様の願いです。
 この願いを願わせて頂くことの大切さを改めて考え直してみなければならないと思います。銀座教会は関東大震災と戦災で二度焼失しています。初代親先生は大震災後には東京の復興を願い。戦災後には日本の復興を願い、二代親先生は毎月二十五日を平和祈願祭として世界の平和を願っていかれました。おかげを頂いて銀座教会も復興し、今の銀座教会があるのです。それには初代親先生、二代親先生のご信心とお取次ぎによる神様のおかげがあってのことです。
 私たちの生活には避けられない様々な難儀が起こってきます。戦争でも被害を受けた方ばかりでなく、それぞれのところに様々な難儀が起こります。この度のコロナ禍のような疫病の難儀もあります。様々な難儀の中でも一人ひとりがおかげを頂いていかなければ安心な生活も平和も生まれてきません。
 コロナ禍は世界中の新しい難儀だと言っていいと思います。今まで当たり前に出来ていたことが出来なくなって生活も様変わりしてきています。いつ終息するのか、どのように終息して人々の生活がどのように落ち着くのか分かりません。
 信心生活と言われるように信心は生活の中にあるのです。
 初代親先生は関東大震災のときも、戦災の時も毎月ご本部への参拝を続けられました。大震災で鉄道が不通になった月と、銀座教会が認可されることになって、役所に出向くために途中から引き返された月以外は続けられたと言われています。二代親先生もそれを受けて続けられ、私も続けさせて頂いています。
 私たちの願いは生神金光大神様のお取次ぎを頂いて神様に通じるのです。それに『おかげは和賀心にあり』と教えられていますし、『信心とは心を神様に向けること』とも教えられています。どのような事があっても、神様に向かって心の足を運ぶことが大切なのだと教えられているのではないかと思います。
 どのような難儀が起こってきても必ずおかげが頂ける信心をしていくことは私たちの願いですが、神様の願いでもあるのです。その信心が百年間銀座教会のお広前で続いてきたのです。
 その信心を改めて頂き直して次の百年へ展開させていくことが百年祭を迎える私たちの願いです。