今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより9月号

 「神様ご主人、自分は奉公人」というみ教えがあります。これは湯川安太郎玉水教会初代大先生のみ教えで、大先生がまだ商売をされていたころに、商売が行き詰まってどうにもならなくなった時に、御神前に座ってお願いしておられると、神様から『世に天職と言うではないか』とのお知らせを頂かれて、神様の仕事を自分の仕事と思って自分の才覚で横領していたと気付かれたのです。そこから大先生のご信心は大展開して玉水教会が生まれて、銀座教会も生まれてきたのです。  奉公人という働き方は、今はありませんので分かりにくいかと思いますが、昔商家へ奉公すると、衣食住一切のことを商家のご主人に面倒をみてもらって、自分は商売繁盛のために精一杯働くという働き方なのです。  商売に限らず一切の仕事は神様の仕事ですから神様が心配して下さいます。では、自分は何もしなくていいのかいいますと、自分の役前は精一杯勤めなければなりません。その自分役前とは何かと言いますと、初代大先生は、まず祈りということ。神様と共に勉強するということ。経済に意を用いるということ。親先祖を大切にするということ。家庭円満ということ。子供の養育ということ。神様の思いに自分の思いを合わせていくといこと。借金の断りを言うこと。を自分の役前として一生懸命させて頂きますからと神様にお約束され、商売と生活一切のことは神様にお返しされたのです。  信心を始めて困ったことがあったり難儀なことが起こってきたりすると、お結界へお願いします。そうしますと神様は親様ですから初めのうちはすぐにおかげが頂けます。そうしますと信心が出来ているような思いになります。ところがだんだんとお願いしてもすぐにはおかげが頂けなくなってきます。そうしてお話を聞くとお詫びが大切とか、改まりが大切と言われる。でもそれほど悪いことをしていると思えないから、何をどのようにお詫びをし、何をどのように改まればいいのかよく分からないところがあります。  湯川茂玉水教会二代大先生な教話集「教燈」の中で、何年お詫びをしても口先だけのお詫びではなく「お恵みによって生かされていることが分かり、ありがたいもったいないという思いが心の底から湧き出るようになって、そこから信心に、家業に精が出るようになれば、必ずおかげが頂けるものであります」と教えて下さっています。また「どんなに良いことをしたつもりでも、それとおかげと引き換えにと思っているのであったらそれは形だけのもので、心の底からのものとは言えません。もったいなくてそうせずにはおられないという気持ちから出ているのであったら、必ずおかげになります」「心の底から思っているのでなければ真実のものではありません」とも教えて下さっています。  教祖様は『おかげは和賀心にあり』と教えてくださっています。  湯川誠一銀座教会初代親先生は「おかげを頂いたら信心の裏付けをしていくことが大切」と教えて下さっています。信心の裏付けとは何かと言えば、自分の思いが自分中心の、自分がご主人になっていないか、神様ご主人になっているかどうか、自分の心の受け皿を確かめることだと思います。何十年信心していても心の受け皿が出来ていなければ、おかげにはならないのです。  信心には思い返しが大事なのです。  難儀や困難に出会った時こそ、難儀や困難に振り回されて右往左往しないで、心の真実を確かめて、心を神様に向けていくことが大切なのです。日頃からそのことを確かめながら生活していくことが信心の貯蓄になり、信心の徳を積むことになっていくのです。