今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより10月号

 来年は銀座教会の布教百年のお年柄を迎えますので、皆さんと一緒に「布教百年祈願詞」を唱和することにしました。その中に、初代親先生が願われた「天下泰平諸国成就、総氏子身の上安全、世界真の平和達成」という願いがあります。  「天下泰平諸国成就、総氏子身の上安全、」という願いは教祖様の願いで「世界真の平和達成」は三代金光様の願いです。  教祖様の時代は明治維新で、江戸時代は日本を幾つもの藩に分けて治められていたのが一つの国として治められるようになった頃の願いです。そして三代金光様の時代になって「世界真の平和達成」を願われるようになりました。これは神様の願いです。その願い成就のお役に立たせてくださいと初代親先生は私たちの願いとして願っていかれたのです。  私たちの日々の生活の中でそんな大きな願いをしてもと思いがちですが、私たちの暮らしの中で一隅を照らすようなささやかな願いでも神様は受け取って下さいます。  初代親先生が東京に布教した年に関東大震災に遭って焼け出され、間借りした二階の一室にしつらえた御神前に、東京の地図を広げて東京の復興を願われ、銀座教会が生まれてきました。その教会も戦災で焼失し、今度は仮広前のご神前に日本地図を広げて日本の復興を願っていかれて今の銀座教会があるのです。  コロナ禍は世界の難儀です。布教百年を機にこの信心を改めて頂き直して次の百年へ向かっていきたいという思いを込めて祈願詞を作らせてもらいました。  先日私はご本部の修徳殿に入殿して副輔導のご用をさせて頂いてまいりました。入殿すると、食事をしたり、掃除をしたり、入浴したり、歩いたりする前に必ず教話を聞いて、恵まれて生かされていることを改めて自覚して、一つ一つを修行として取り組んでいくのです。私のご用は入浴前の教話でした。私は初代親先生がされていたことをお話しました。  先生はいつでも、まず湯桶に八分目ほどお湯を汲んで、その湯を手ですくって三度押し頂いてから入浴されました。体を洗うのもお湯を多く含むタオルではなく木綿の日本手拭いで、必要最小限のお湯しか使われませんでした。これはお湯があふれている温泉でも同じでした。自分はいつもそうしておられましたが、人にはそのようにせよと言われたことは一度もありませんでした。  大正十四年といいますから、かなり昔の話ですが、四国のある地方が干ばつ被害に遭い、池は干上がり、井戸も枯れてしまったことがあったそうです。その時ある教会の井戸だけが枯れずに大勢の人たちが助かったのです。  それを見てきたある信者さんが玉水教会初代大先生に「神様はたいしたもんですなあ」と話しますと、大先生は「それは、その教会の先生が偉いのや。日頃から水を大切にされているからや。水大切ということは神様大切ということに通じるのや」と言われたと伝えられています。  私たちは教会にお参りしてお願いしていますと信心が出来ているように思いますが、それだけではなく、日常生活の一つ一つを神様と一緒に生活していくことが大切で、それが信心生活なのです。  私たちは日常の暮らしの中で何かあると神様におかげ下さいと願っています。神様は心を分けて下さった親様で、おかげを受けてくれよと願って下さっている神様です。でも、私たちの心が自分勝手な思いで生活していると、おかげの授けようがないのです。信心には改まりが大切だと教えられています。日々神様と一緒に生活しているかどうかを確かめて、改まっていくことが大切なのです。一番のご無礼は天地の恩を知らぬことなのです。