今月のことば

湯川浩一(ゆかわこういち)

1966年(昭和41年)二代教会長・湯川信直師長男として出生。
慶応義塾大学経済学部卒。1989年(平成元年)金光教教師拝命。
2006年(平成18年)信直師逝去の後三代銀座教会長に就任。

銀座教会長 湯川浩一

銀座教会長 湯川浩一

お徳の中で 教会長 銀座だより03月号

 一月二十日には銀座教会布教百年のお祭りを仕えさせて頂きました。そして今年は教祖様百四十年のお年柄であり、来年は玉水教会初代大先生の八十年のお年柄を迎えます。  銀座だよりの新年号に、「よくわからないから信心を止めたい」と言ってきた、脳に少し障害がある娘さんに、初代大先生が信心の大切さをかんで含めるように何度も何度も話しておられた様子を二代親先生が話しておられます。  初代大先生がまだ商人であられたころ、行き詰まって立ち行かなくなったところを信心で助けられたことは、まさに天にも昇る思いであったのではないか。とも二代親先生は話しておられます。初代大先生はその信心を困っている人たちに何とかして分かってほしいと、生涯をかけて一生懸命に話していかれたのです。  その思いが、初めて上京されて東京の街をご覧になった時に「東京にも難儀をしている人たちが大勢おられる。その人たちを一人でも多く助けさせて頂きたい」という願いになり、やがて銀座教会が生まれてくることになるのです。  神様は私たちに『信心しておかげを受けてくれ』と頭を下げて頼まれている神様です。  大正十二年一月二十日に、木挽町(今は銀座四丁目)の狭い路地の奥の布教所で、初代大先生によって布教初めのお祭りが仕えられました。その布教所で湯川誠一初代親先生が、師匠である初代大先生に成り代わって布教されたのです。(その場所の地図は、銀座だよりの新年号に掲載されています)  ですから毎年の布教記念祭では玉水教会の大先生に祭主をお願いして、初代親先生は一信奉者として玉串を奉奠されていたのです。  そして、十年祭とか五十年祭とかの節年祭は自分の身の祝いになるからと言ってされませんでした。二代親先生も私もそれを受けてしてきませんでした。百年祭も最初はするつもりはありませんでしたが、大先生から「百年祭は大きな節目のお祭りだからさせて頂きなさい」とのお話を頂いてさせて頂くことにしたのです。  最初の布教所は、開設したその年の関東大震災で焼失し、翌年に銀座小教会所が今の場所に生まれるのですが、その教会も昭和二十年五月の大空襲で焼失してしまいます。そして翌年には復興し、昭和六十年に、今のお広前に新築されることになるのです。  二代親先生が若い頃、初代親先生に「お取次ぎのご用など私にはとても出来ません」と言われたときに初代親先生は「それは自分がしようと思っているからや。生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、天地金乃神様からおかげを頂くから出来るのや」と教えられたと話されています。  銀座教会百年の歩みは、初代大先生から初代親先生、二代親先生と受け継がれてきた信心によって天地の神様からおかげを頂いてきた姿です。  でも、百年祭は終着点ではありません。次の百年へと続いていくのです。これから進めていく私たちの信心も自分がするのではありません。  初代親先生は「これからは道輝会をしていくように」と言い残して亡くなられました。「道輝」というのは、初代大先生の亡くなられてからのおくり名です。  道輝会と言っても、大勢集まってする会ではありません。二人で初代大先生の信話集で語られている信心の話し合いが出来れば、それが道輝会なのです。お取次ぎを頂いて一人ひとりが自分の信心をもう一度見直して、まことの信心をしてまことのおかげを頂けるよう、改まり、改まりして信心を進めていくことが大切なのです。