湯川誠一師

銀座教会初代教会長 湯川誠一師

湯川誠一師は、20歳で湯川安太郎師の最初の修行生となります。厳しい修行の後、恩師安太郎師の強い願いを受けて上京。初代銀座教会長となり、師になり代わって取り次ぎに専念して多くの人々を助け、弟子を育ててその教えを東京及び各地に広めました。

湯川誠一師

湯川誠一師 略歴

(1887〜1975)

  • 母とともに信心をはじめ、湯川安太郎師の教導のもとで助けられる。
  • 1907年(明治40年)玉水教会に修行生として入る。
  • 1922年(大正11年)上京。銀座教会を開教。晩年、本部教老の称号を受ける。
湯川誠一師関連書籍

湯川誠一師関連書籍

ここでは私たちの生活の中での信心を、実践的に説かれた「湯川誠一 語録」から、師の薫陶を強く受けられた先生方に抜粋していただいた3 つのお話しをご紹介します。


出世して親をけ散らす

勉強が図抜けてできる子は、親に「私はここまで勉強してやった」という気分があります。
一方、親も教育については心配しません。しかし、その子が親の恩を知らないで育つと、たいていは出世しても親をけ散らかしてしまいます。
一方、勉強のできない子の親は心配します。そうすると、その子は親に心配かけたのだから、一人前になったら、両親を安心させなければならないという気持ちになります。
信心していても、神さまをけ散らしてしまう氏子が多いのです。私ほど偉い者はないと思い上がってしまう先生や信者がいるのですから。

素直な心で祈る

子供のように少しも利口ぶらない素直な気持ち、もっと純真な気持ちで親に頼っていかねばと思います。
年をとっても、信仰においては、純真な子として親さまに祈っていかねばなりません。
だんだんに慣れてくると、そういう気持ちが薄らぎます。お祈りは素直な心でなければなりません。

親先祖を大切に

「どうしても親に安心していただける身の上にしてほしい」という祈りを一貫していくことが、真の信心であると思います。
けれども自分がおかげをいただきたいために、「親に安心してもらいたい」というのでは、神さまを釣っているのです。自分がおかげをいただくための手段にしたのではいけません。
どうにかして親に安心してもらえるようになりたいという気持ちがあれば、親を大切にしないではおられません。
ところが、そういう道理や理屈は分かっていても、実際にはできないといって悩む人もあります。
できないからこそ、神さまにおすがりしていくのです。
そうすることで信心させてもらえるのです。